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知識と知恵と学ぶこと

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筆者が何を目的に書いたのか。
それをできるだけ正しく読み解く姿勢が必要です。
考証が優先か、学ぶことが優先かは議論があると思いますが、
すくなくとも、実学として役立つのは、
学ぶという姿勢から得られる知識であり知恵です。


20180220 2月の風景
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 *****

歴史には、いわゆる「異説」のようなものがたくさんあります。
区別して考えなければならないことは、史実と歴史は異なるということです。

たとえば、本能寺で変があったことは史実です。
それは考古学的に証明可能なことです。
けれども、その本能寺で信長が討たれたたかどうかは、当時の記録にそのように書いてあるだけで、それが事実かどうかはわからないことです。

もしかしたら巷間言われるように、信長は生きていてローマに渡り、そこで本当に法王の側近になってジョルダーノ・ブルーノと名乗ったのかもしれない。
個人的には、その説の方をひそかに支持していますが、いずれも「かもしれない」というだけで、それが真実かどうかは、当時にタイムスリップでもしない限り、わからないことです。

歴史というのは、遺物、遺構、史料などの証拠に基いて、過去にあった出来事をできるだけ合理的に説明しようとするものです。
今風の言い方をするなら、遺物、遺構、史料などが証拠(evidence)であって、歴史はその証拠をつなぐ筋書き(Story)です。
そして歴史は、証拠から真実(Fact)を得ようとするものでもあります。

政治的に利用しようとして、ありもしない事実をでっちあげたり、証拠にもならないようなまったく別な写真をもってきて、これが事実ですと宣伝するようなものは、プロパガンダ(Propaganda・政治的宣伝)であって、歴史ではありません。

要するに、証拠と真実を論理的につなぐ筋書きが歴史なのですが、注意しなければならないことは、証拠と筋書きは、必ずしも真実を示しているとはいないという点です。
これは、ひとつには、何を持って真実とするのか、という問題があります。
事実には、様々な側面があるのですから、そのどれを切り取るかによって、見方も捉え方も異なってきます。

また、「◯◯と日記には書いておこう」というものもあります。
「本当は、かわいそうなおそめさんが下手人だけれど、事故死だったことにしておこう」みたいなものです。
日本の歴史にはこうしたものが多々あります。

ですからある武将が死んだと書いてあるから、本当にこの世からいなくなったのではなくて、実は出家しただけである、などということも、これまたよくあるのです。


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では、真実は、亡くなったことが真実なのか、出家したことが真実なのか。
どちらが本当なのか。
誰も過去に遡ってタイムスリップすることは、少なくとも現代までの時代では、できません。
できないことだから、わかりません。

仮にタイムマシンがあって、実際にジョルダーノ・ブルーノに面会したとして、
「あなたは、信長ですか?」と聞いたところで、彼がどのように答えるかは、わからない。
「ノー」と答えるかもしれないし、本当は別人なのに「Yes」と答えるかもしれない。
本能寺の変をその時代に見に行ったとしても、もしかしたらその場にはすでに信長はいないかもしれない。
要するに、当事者以外には、わからないことのほうが多いのです。

比較的近い時代である戦国であってさえそうです。
まして、古事記や日本書紀が神語としている神々の物語に至っては、それは何千年前のものなのかもわからないし、もしかしたらそこに書かれていることは、そもそもこの世の出来事ではないのかもしれないのです。
そしてもし仮に、たとえば高天原が5次元世界や、6次元世界だというのなら、時空間に関する捉え方は、我々が住む3次元の世界とは、まったく異なるものとなります。

神話を考えるに際して、江戸時代に考証学派というものがありました。
これは、古事記、日本書紀、あるいはその他の古史古伝といったものを研究して相互の違いを明確にし、そこから真実を探ろうという学派です。
この延長線上にあるのが、柳田国男などの外国の民話などとのすり合わせから、真実を得ようとする努力で、すこし極端に言うと、アダムとイブは、イザナキとイザナミのことではないか、といったことを、真面目に研究していこうとしたりされていたわけです。
それらは、できるだけ正確に過去を知ろうとする努力ですから、とても大切な素晴らしい、そしておもしろい取り組みであると思います。

しかし疑問もあります。
たったひとことです。
「それって、真実?」

真実はわからないのです。
要するにそれは、書かれた筋書きの比較考証にすぎず、必ずしも証拠ではないし、そもそも書かれたものが真実を述べているとは限らない。

しかしだからといって、証拠を無視したら、歴史がただのファンタジーになってしまいます。
どこかの国ではあるまいし、私たちは日本人なのですから、どこまでも証拠に基いて考えていこう(考証していこう)とする姿勢は、これは絶対に必要なことです。

ただ、忘れてはならないことがあります。
それが「学ぶ」という姿勢です。

書かれたものには、必ず書かれた目的があります。
そしてそれが古典なら、時の風雪に耐えて生き残っている文書です。
ほんの10年前のベストセラーが、いまではすっかり色あせてしまったりします。
それが何百年、あるいは千年の風雪ともなれば、これを耐え抜いて生き残ってきた文書には、相当の値打ちがからなずあるものです。

そうであれば、そこに何が書かれているのか。
筆者が何を目的に書いたのか。
それをできるだけ正しく読み解く姿勢が必要です。
考証が優先か、学ぶことが優先かは、議論があると思いますが、すくなくとも、実学として役立つのは、学ぶという姿勢から得られる知識であり知恵です。

まして神々の世界のことともなれば、すでに我々人間界の者の想像をはるかに超えることです。
早い話、3次元と4次元の違いを文章で説明するというだけでも容易なことではありません。
後ろと前は等しくて、壁の向こうとこちらが同じ場所にあって、未来が過去にあって、しかもこの瞬間にも、幾つもの現実が重なっていて、亡くなられた人が生きていて、まだ生まれていない人が過去にいる?
いったいどうやってそのことを説明するのでしょうか。

そこで思い出さなければならないことは、「書かれたものには、必ず書いた目的がある」ということです。
従って目的が違えば、同じことを書いても、当然、その捉え方や書き方が違ってくるのです。

たとえば古事記と日本書紀がそうです。
書いた目的が違うから、古事記と日本書紀の二つがあるのです。

具体例をあげると、たとえば「しらす」の書き方です。
古事記は「シラス」を「知」と書いています。
日本書紀は「シラス」を「治」と書いています。

「知」という漢字は、神々と繋がり、神々の知恵をいただくことを意味する漢字です。
ですから古事記は、神々と人々の繋がりを示すことを目的として書かれたものであるといえます。

日本書紀が用いている「治」は、「流水+農機具のスキ+口」で成り立ち、これはもともと食物を得るために水を治めることを意味する漢字です。
つまり日本書紀は、農業を中心として、誰もが豊かに安心して安全に生きていくことができるようにすることを目的にしています。

大和言葉では同じ「しらす」です。
しかし、書き方の違い(漢字の用い方の違い)によって、記紀それぞれの書かれた目的の違いが明確になっています。

では、「しらす」は、「知」と書くのが正しいのでしょうか。
それとも「治」と書くのが正しいのでしょうか。
答えは、「どちらも正しい」といえるのではないでしょうか。
そして古事記において「治」を用いれば、それは間違っていることになるし、日本書紀で「知」を用いれば、それは本旨から外れた間違った用例となります。

ここからいえることは、まず私たちがしっかりと学ばなければならないことは、記紀それぞれの本旨(書かれた目的のことです)を、しっかりと把握し、それを謙虚に学ぶということであるといえます。
人が書いたものであり、書いた目的があるのなら、その目的とは何なのか、古代の人が、記紀を通じて何を後世の私たちに伝えようとしたのか。
そのことを謙虚に学ぶことこそが、まずはじめに必要なことであると思うのです。

このブログにおいても、また著書においても、たとえば「因幡の白兎は、ウサギのお話だけれど、古事記はウサギとは書いてない。くさかんむりの菟という字を用いている」ということを再三述べさせていただいています。
それは、菟をウサギと読むことが間違っているという趣旨ではありません。

日本文化というものは、子供にもわかるやさしさを持つことが特徴なのです。
ですから、「ウサギさんは、ワニを騙したからケガをさせられてしまったの。だから◯◯ちゃんは、嘘をついたらいけないのよ」と、幼児の教育にその物語が役立てば、それはそれでおおいに結構なことなのです。

しかし、古事記が何を伝えようとしているのか。
古事記が後世に伝えようとしたことは何なのかを考えるときには、ウサギとワニの物語という、子供向けの物語としての解釈ではなく、そこに書かれた内容を、一字一句おろそかにしないで、よく吟味しながら、學んでいくことが大切になります。

日本書紀も同じです。
そもそも日本書紀は、神々のお名前を、どうして「神」ではなく「尊(みこと)」と書いたのでしょうか。
どうして「しらす」を「治」と書いたのか。

偽書だとか、あり得ないとか、他の文献と比較して云々という前に、そういうところから、しっかりと学び、読み解いていく努力が、まず先にあるべきなのではないでしょうか。

では、なぜそういう態度が必要なのか。
その答えは、知識ではなく、知恵こそが必要だからです。
現代を打開するのは、知識ではありません。
その知識を元にした知恵です。

それでわかりにくければ、記紀に何が書かれているかを知ることが知識(Intelligence)です。
その書かれていることから、現代を生きる知恵を得ることが知恵(Wisdom)です。
ちなみにウイズダム(Wisdom)の「ウイズ(With)」は賢明なこと、「ダム(Dam)」は、力の及ぶ範囲です。
ですから知恵とは、力の及ぶ範囲を広げるための賢さを得るということです。

そして、記紀は、間違いなく、そのために書かれたものであると思います。
古事記は、我が国の成り立ちを学ぶ書として。
日本書紀は、我が国を維持・継続・発展させていたくための書として。

古事記に書かれている因幡の白兎が、日本書紀にはないということが重要なのではなくて、古事記にはそれを書く理由があったのだし、日本書紀は、日本書紀を記す目的から、特段、白兎を書く必要がなかったということなのではないでしょうか。

一説によれば、因幡の白兎の物語は、出雲国風土記に書かれているものであり、それは日本書紀が成立したとされる年代よりも少しあとに出来上がったものであるから、古事記が日本書紀よりも先に書かれたということはありえず、だから古事記は偽書である、というものがあります。
そうなのかもしれないし、そうでないかもしれない。
私にはそれはわからないことですし、はっきりいって、どちらでも良いことに思えます。

なぜなら必要なことは、記紀に学ぶことであって、記紀がいつ書かれたかではないからです。
そしてまた、因幡の白兎の物語が、書紀になくて古事記にあるということが示していることは、古事記にはその書かれた目的を達成するに際して、どうしても因幡の白兎の物語が必要であったし、日本書紀には必要がなかったということにすぎません。

このことを、先程の「知」と「治」の違いに重ねてみると、日本書紀が必要としなかったのは、国を「治らす」基本を描こうとするとき、因幡の白兎の物語は全体の構成上必要がなかったということですし、古事記は「知らす」を描くにあたって、白兎の物語を必要とした、ということになります。

そうであれば、古代の人が、白兎を通じて、後世の人に何を伝えようとしたのかを、しっかりと学ぶこと、そしてそのことが、単に情報としての神話(インテリジェンス)から、行動するための知恵(ウイズダム)を得ることに繋がるのであると思います。

そういう意味で、ときおり、「古事記に書かれていることの事実はこうだ」といったことを述べられる方がおいでになるけれど、私にはそれは「わからないこと」ですし、ただの関心事項であるにすぎません。
なぜなら、何の影響ももたらさないものであるからです。

これは、よく「影響の輪・関心の輪」と言われるもので、たとえば芸能人の誰が誰と結婚したとか、恋愛関係にあるといったことは、世間的な関心はあっても、私たちがそのお二方に何の影響力も持つことはできません。
これが関心の輪で、そのような影響力を持てない関心事項に人生の大事な時間を費やしても、何の成果も得られない。
逆に、自分で影響できることに人生の大事な時間を使えば、それは必ず大きな成果になる、というものです。

たとえば「実は古代において、スサノオが高天原のアマテラスの国に攻め込み、そこで壮絶な戦争が繰り広げられたのだ」といったような話は、聞いても「ああそういう話もあるのか」と思うだけで、それ以上でも以下でもありません。
ただ「そういう話を聞いた」というだけのものです。

けれど古事記が、天照大御神と須佐之男命の物語を通じて、権威と権力を立て分け、民衆を「おほみたから」とし、同時に権力には常に責任が伴うということを二神でご一緒にお示しになられたのだという話は、その後の日本の歴史を考える上においても、あるいは自分が生きていく上においても、なんらかの力を行使するときには、必ずその責任を伴うという自覚を持つという意味においても、極めて大切な人生訓となっていくものです。

記紀や古史古伝をはじめとした古典を学ぶに際して、それをそのように読むかは、人それぞれだと思います。
どう読むのが間違いで、どう読むのが正解ということはないと思います。
「真相はかうだ」のようなことをおっしゃる方もおいでになりますが、実際のところ、その方も当事者としてその場に居合わせたわけではないのですから、実際にはどのようなことがあったのか、それは最低見積もっても千年以上も昔の出来事ですし、当時のVTRが残っているわけでもありません。
つまり何が起きたかということは、実際のところはわからないというのが、まさに「真相」なのであろうと思います。

大切なことは、そこから何を学ぶか。
そして学んだことを、これからの人生に、あるいは社会の知恵にしていくこと。
そこが大事なのだと私は思っています。

古事記に書かれていることを、他の文献史料と比較考証するという学問があります。
それはとても大切な学問だと思います。

しかし、その別な文献資料と古事記と、どちらに書かれていることが真実なのか、書いて有ること以外、史料がないことについては、これはもう、わかりようがないことです。
ましてそれが神々の物語なら、もしかすると人知をはるかに超えるものが、もともとの母体となる物語であったかもしれない。
つまり神話の比較考証というのは、決して、否定するわけではないけれど、0の割り算みたいなもので、人が答えを見つけることはできないと思うのです。

我々にできることは、書かれたものに書かれていることを、できるだけ正確に学ばせていただくこと。
その原点に帰ろうとしたのが、『ねずさんと語る古事記』です。


お読みいただき、ありがとうございました。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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コメント
三年ほど前、ある有名な愛国的なブロガーの方が「(政治家など)評価は是々非々だ」とある政治家を評しておっしゃっておられました。当時大変違和感がありましたが、人の言動や事柄にいちいち反応して個々を評価しようとすることよりも、その人となりや物事の本質を見極めることが日本人の普遍的価値観なのではないかと考えたものです。低俗ですが、同じ行為でも人によってセクハラとなり、おふざけとなる。近代西洋的「平等」ではなく日本的「公平」な価値観こそ大切にしたいものです。
2018/02/23(金) 21:28 | URL | 渡辺 #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

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ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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