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戦場の結婚式

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遠く離れた異国の地で、
最後まで
死力を尽くした
男たちがいました。
女たちがいました。
過酷な戦場の中に咲いた
一輪の花のような
恋もありました。


20180308 拉孟
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 *****

拉孟(らもう)の戦いは、
数ある玉砕戦のなかでも、
内陸部のジャングルにおける
玉砕戦として、
深く記憶される戦いでした。

昭和19年の6月から
9月までの出来事でした。
守備隊は、最後の一兵まで
この地を守り抜き、
98日間という長い戦いをして
玉砕しました。

もともとこの守備隊は、
1280名の守備隊員のうち、
300名は
ほとんど体の動かない
傷病兵でした。
なかに15名の女性もいました。

遅いかかった敵は
蒋介石率いる国民党軍の中でも
最強といわれた
雲南遠征軍です。
しかもその数、なんと5万です。
そしてその軍は、
米国のジョセフ・スティルウェル陸軍大将が
直接訓練を施した、
米軍式の最新装備の軍でした。


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戦いの末ごろ、
守備隊に飛行機で
物資を届けた
小林中尉の手記があります。
当時、拉孟守備隊がいる陣地のことを
松山基地と呼んでいました。

「松山陣地から
 兵隊が飛び出してきた。
 上半身裸体の皮膚は赤土色。
 スコールのあとで、
 泥にベタベタになって
 T型布板の設置に
 懸命の姿を見て、
 私は手を合わせ
 拝みたい気持ちに駆られた。
 印象に深く残ったものに、
 モンペ姿の女性が混じって
 白い布を振っている
 姿があった。
 慰安婦として
 ここに来た者であろうか、
 やりきれない哀しさが
 胸を塞いだ」

上空からみた松山陣地は、
周囲全部を、
敵の陣地と敵兵によって
埋め尽くされていました。

小林機は、
低空から2個の弾薬包を
投下しました。
これに応えて
守備隊の兵や女性たちが、
手をちぎれるほど振りました。

小林中尉は
この何分か何十分後に
戦死しているであろう
彼たち、彼女たちの顔を
心に刻み込もうと、
飛行機から
身を乗り出すように
したそうです。

けれど溢れる涙で眼がかすみ、
前が見えなくなってしまいました。

熱い思いに駆られた小林中尉は、
弾薬包を投下したあと
直ちに離脱すべしとの
命令だったのですが、
敵の弾幕をくぐって急降下し、
あらんかぎりの銃弾を
敵陣に叩き込んだそうです。

愛機を敵弾が貫きました。
体も弾がかすめました。
それでも弾倉が空になるまで、
撃ち続けました。
その気持、
痛いほどわかる気がします。

守備隊に
混じっていた女性たちは、
軍人ではありません。
軍とともに移動してきた
慰安婦たちでした。
慰安婦と言えば聞こえはいいですが
要するに売春婦です。

現代の倫理では
理解できないことかもしれないけれど、
売春は
人類社会始まって以来の
職業といわれています。

西洋文学にも、
あるいはパリの
オルセー美術館の
名作にすら、
それは登場しています。

軍は健康な青年の集団です。
何処の国の軍隊にも
それは付随しました。
人類史上、それを持たないのは
日本の自衛隊くらいなもの
ではないでしょうか。

それは決して陰惨な存在ではなく、
前線近い日本の兵隊さんたちが
いかに彼女たちを大切にし、
彼女たちも誠心でそれに応えたか、
歴戦の下士官であった
伊藤桂一氏の著作に
屡々活写されています。

彼女たちは
戦いが始まるずっと前に、
「ここは戦場になる。
 危ないから帰れ」
と勧められていました。
けれど彼女たちは
帰りませんでした。

拉孟にいたら
生きて帰ることはできない。
しかし彼女たちは
兵士たちと
家族のように親しくしていました。
心が通っていたのです。

だからそこを離れるということは、
彼女たちにとって、
肉体が生きていても、
心が死ぬことでした。

だから無理に帰そうとすれば、
女たちは薄情だと怨みます。
彼女たちは、
自分たちも
「守備隊の一員」
と考えていたのです。

こうして
20名いた女たちのうち、
朝鮮人女性5名だけが
先に拉孟を離れました。
日本人女性の15名は
戦場に残ったのです。

守備隊の中に、
戸山という伍長がいました。

戸山伍長は戦いが始まる前、
折に触れては女たちの中の、
あきこという女性に
辛く当たっていました。

あきこさんは美人でした。
そのあきこさんに戸山伍長は、
「おまえは道具じゃないか」
と罵ったのです。

腹をたてたあきこさんは、
以後、戸山伍長が
いくら金を払うと言っても、
一切そばへも
寄せ付けませんでした。

戦いがはじまりました。
戸山伍長は爆風で
両目を失ってしまいました。

看護をしたのは、あきこさんでした。

二人は結婚を約束しました。
戸山伍長は、
ほんとうはあきこさんのことが
好きだから辛く当たっていたことを、
女の直感で
ちゃんとあきこさんは
知っていたし、
男っ気の強い戸山伍長に
惚れていたのでしょう。

二人は戦いの中で
仲間たちに祝福されて
三三九度の盃ををかわしました。
お酒なんてありません。
だから水盃でした。

そこは戦場です。
結婚したところで
幸せな家庭も、
可愛い赤ちゃんも、
望むべくもありません。

「けれど」
と二人は言ったそうです。
「もし来世があるのなら、
 その来世で
 心も体も
 真実の夫婦になりたい」

婚儀の数日後、
戦場に戸山伍長と、
そばに寄り添う
妻あきこさんの姿がありました。

あきこさんは、
全盲の戸山伍長の眼になって、
手榴弾投擲(とうてき)の
方向と距離を目測して、
伝えていました。

その日の第三波の
敵が来襲しました。
敵の甲高い喚声を聞いた戸山伍長は、
「少年兵?」
とあきこさんに聞きました。
そして
手榴弾の信管を抜こうとした手を
一瞬止めました。

砲弾が唸る中、
あきこさんは、
「十五、六の少年兵ですよ」
と叫びました。

敵兵とはいえ、
相手は年端もいかぬ子供です。

そのとき、
敵の少年兵が投げた手榴弾が
夫婦の足元に転がってきて、
轟音とともに炸裂しました。

戸山伍長とあきこさん夫妻は
ともに壮烈な戦死を遂げました。

戦場で死を待つばかりで
子を持つことも叶わない二人は、
たとえ敵兵といえども、
少年を殺すことが
はばかられたのでしょう。

最後の突撃の日、
先頭には
その時点で指揮官となっていた
真鍋大尉が立ちました。
後ろに聯隊旗手として黒川中尉、
そのまた後ろを、
かろうじて動ける兵たちが、
一塊になりました。

突撃の前に、
自力で歩けない兵たちは、
互いに刺し違えました。
意識のない兵、
手も足も動かせぬ重傷兵は、
戦友がとどめを刺しました。

生き残っていた女性たちは、
先立ったあきこさんを除く
14名でした。

彼女たちは、
何より大切にしていた
晴着の和服に
着替えました。

戦場のススで汚れた顔に
口紅をひき、
次々と青酸カリを
あおりました。

この日まで、
喜びも
悲しみも
辛さも
苦しさも
わかち合ってきた
男たちの運命に殉じ、
彼女たちは、
「共に戦死した」
のです。

この物語には、
後日談があります。

玉砕の当日、
報告行の命令を受けた木下中尉が、
奇跡としか言いようのない
生還を果たしました。

木下中尉は、
辛うじて第56師団の
前線に辿り着いて
戦闘の様相を
克明に報告しました。

重傷の兵が
片手片足で野戦病院を
這い出して
第一線につく有りさま。

空中投下された
手榴弾に手を合わせ、
必中の威力を祈願する場面。

尽きた武器弾薬を
敵陣に盗みに行く者。

そして15名の慰安婦たちが
臨時の看護婦となって、
弾運びに、
傷病兵の看護に、
または炊事にと
健気に働いた姿など。

語る木下中尉も、
報告を受けた56師団の面々も、
涙あるばかりでした。

この戦いの中、
蒋介石が次のような
督戦状を発しました。
「騰越(とうえつ)
 および拉孟において、
 日本軍はなお孤塁を
 死守している。
  (中略)
 ミートキーナ・拉孟・騰越を
 死守している
 日本の軍人精神は、
 東洋民族の
 誇りであることを学び、
 これを範として
 我が国軍の名誉を
 失墜させるべからず」

この督戦状は蒋介石が、
自軍の督戦のために
出したものですが、
逆に日本陸軍の優秀さ、
強さを讃える内容に
なっていることから、
後に、
「蒋介石の逆感状」
と呼ばれました。

拉孟ばかりではありませんが、
遠く離れた異国の地で、
最後まで
死力を尽くした
男たちがいました。
女たちがいました。

過酷な戦場の中に咲いた
一輪の花のような
恋もありました。

今生では子は望めないと
覚悟した二人が、
敵とはいえ
少年の命をかばって
自らの命を失いました。

こうした一つ一つが、
決して忘れてはいけない
私たち日本人の心であり、
日本の歴史なのだと思います。

お読みいただき
ありがとうございました。


※この記事は2013年2月の記事のリニューアルです。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

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