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先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


満州従軍看護婦哀歌(3)

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昨日に引き続き、従軍看護婦の物語の最終回です。
こうした物語ないしは歴史に触れるにつけ思うのは、目先の政局も大事だけど、もっと本質的な、あるいは根源的な、日本人としての、世代や時代を超えた愛というものを、我々日本人は失いつつあるのではないか、ということです。
愛と書いて、訓読みは、いとし、めでる、おもふ、と読みますが、戦後の日本人は、その愛を、単に刹那的なものだけに矮小化してしまっているのではないか、と思うのです。
大きな愛を説く人でも、身近な愛を、世界にまで広げて人類愛のようなことが叫ばれます。
それは単に、愛を空間的に横に広げただけのように思います。
魂というものが永遠のものなら、愛も、時空を超えて過去にも現在にも未来にも大きく広がる、つまり横にも縦にも広がる。
そういうことが、人だけの個人主義では見えなくなる。
日本人は、もともとは、時空を超えた大きな愛を持つ民族だったのではないか。
それこそが大きな本当の愛なのではないか。
そのように感じるのです。


堀貴身子婦長
20180315 堀貴身子婦長
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


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 *****

満州従軍看護婦哀歌(1)
満州従軍看護婦哀歌(2)
満州従軍看護婦哀歌(3)

<前回までのあらすじ>
ソ連軍進駐によって、病院の看護婦に出された異動命令は、実は売春の強制だった。
堀婦長がようやく彼女たちを見つけ出したとき、彼女たちは梅毒に罹患し、生きる希望さえもなくしていた。
彼女たちを必死で励まし、治療を行った結果、彼女たちの病状は好転する。
しかし、ようやく日本に帰れるとなった日、彼女たちが選んだのは、自らの死であった。
******

堀喜身子婦長は、
ソ連に抑留されている夫の
正次氏の故郷である
山口県に向かいました。

かつての日本社会では、
いったん嫁に入ったら、
夫の家の家族と
考えられていました。
だから自分の生家に
帰ろうとは思わない。
終戦までは、
それがあたりまえでした。

ところが親子で夫の実家に到着すると、
夫の母(お姑さん)は
「引揚者は、家に入れられない」
といいました。
敷居の中にさえ、
入れてくれませんでした。


1517998807




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当時、いろいろな
噂があったのです。
引揚者の女性は穢れている
とかです。

堀喜身子さんは、
看護婦であることが幸いし
引揚げに際して
不埒な真似に遭うことは
ありませんでした。
けれど、
「世間体がある、
 何があったかなんて
 わかりゃあしない」
と姑は納得してくれませんでした。

はるばる山口まで来て、
自尊心をズタズタに引き裂かれ、
泊まるところもなく、
とほうにくれた堀さんは、
二人の子供の手をひきながら、
堀家の菩提寺を訪ねました。

ご住職に事情を話すと、
「わかりました」
と、一夜の宿と、
命に代えてもと持ち帰った
23名の看護婦のご遺骨を、
菩提寺の墓所で預かって
いただくことができました。
堀さんは、ようやく肩の荷を
少しだけおろすことが
できた気がしました。

翌日、親子は、
堀さんの母の住む
北海道の帯広に
向かいました。

帯広では、
幸い看護婦として
市内の病院に
就職することができました。

けれど終戦直後です。
未曽有の食糧難の時代です。
勤務の制約もあり、
給料も少なく、
生活費をぎりぎりに
切りつめても、
末っ子の槇子まで
養うことができません。

涙ながらに因果を含めて、
大事な娘を
親戚の家に預かって
もらいました。

苦しい生活を送りながらも、
堀元婦長の脳裏を
片時も離れないもの、
それは、
命を捨ててまで
事態を知らせに来てくれた
大島花江看護婦と、
井上つるみ以下
自決した22名の
仲間たちのご遺骨のことでした。
年長者でも26歳、
年少者はまだ21歳の
若い女性たちでした。

年が明け、
昭和24年の6月19日の
命日がやってきました。

するとこの日、
彼女たちが
堀婦長のまわりに
やってきました。
そして言うのです。

「婦長さん、
 紫の数珠を
 くださいな」

紫の数珠というのは、
終戦の年の
冬の初めにあったできごとです。

その日、
張春の第八病院に、
モンゴル系の女性が
担ぎ込まれてきました。
妊婦でした。
難産でした。

助産婦の資格をもつ堀婦長が
軍医とともに診察しました。
すでに重体でした。
もはや妊婦の生命は
難しい状態でした。
あとはせめて
赤ちゃんの命だけは、
という状態でした。

その日のうちに
嬰児はなんとか取り上げました。
けれど出産で、
妊婦は瀕死になりました。

そこから二日三晩
婦長と看護婦たち、
みんなで献身的に
看護をしました。

それは
「なんとかして
 命だけでも助けてほしい」
と何度も哀願するご家族たちが、
「ここまでやってくれるのか」
と感激して
涙を流すほどの
真剣な看護でした。

妊婦は一命をとりとめました。
一部始終を見ていた
妊婦の身内の中に、
モンゴルで高僧と言われた
老人がいました。

妊婦の生命をつなぎとめた
神業のような看護を、
驚異の眼で評価した高僧は、
生涯肌身離さず
持ち続けるつもりでいたという
紫の数珠を、
お礼にと
堀婦長に差し出してくれました。

その紫の数珠は、
紫水晶でできていて、
2連で、
長さ30cmほどのものです。
見た目もとても美しいのですが、
それだけではなく、
ひとつひとつの珠に
内部が透ける細工が
施してありました。
透かしてみると、
ひとつひとつに
仏像が刻まれていました。

その日からお数珠は
看護婦たちの
憧れの的になりました。

やまとなでしことはいえ、
若い娘たちです。
美しい宝珠に
興味津々でした。
婦長は何度も
彼女たちにせがまれて
何度も見せてあげていたのです。

ある日、婦長はみんなに、
「いっそのこと、
 数珠の紐を切って、
 みんなで分けようか?」
と提案しました。
このひとことで
看護婦たちは
大騒ぎになりました。

彼女たちが亡くなったとき、
婦長は彼女たちに誓いました。
「私の命に代えても、
 みんなの遺骨は、
 必ず日本に連れて帰る。
 日本に帰ったら
 必ず地蔵菩薩を造って、
 みんなをお祀りする。
 その地蔵菩薩の手に、
 この紫の数珠を
 きっとかけてあげるね。」

けれどまだ地蔵菩薩はありません。
彼女たちの遺骨は
菩提寺とはいえ、
無縁仏にちかい形で
置かれたままです。

婦長はなんども心の中で
みんなにお詫びしました。
「ごめんね。
 いまの私には
 どうすることもできない。
 でもきっと、必ず、
 お地蔵さんを造って
 お祀りする。
 だからもう少し
 待っていてね・・・。」

どうすることもできない境遇です。
そのことを思う都度、
婦長の眼からは
涙があふれました。

帯広で生活するようになって
しばらくしたとき、
徳山の夫の生家から、
夫の正次が戦死したとの
公報があったと
知らせが届きました。

こうなると、
北海道にいる堀婦長にとって
遠い山口県とは
ご縁が遠くなります。

「なんとかしなければ」と
思う堀婦長の心に、
23名のご遺骨のことは
重い負担となり続けました。

なにもしないでいるわけにいかない。
堀婦長は、
あちこち手立てを講じました。
元の上官であった平尾軍医と
手紙で連絡をとり、
二人で地蔵菩薩の
建立費を積み立てようと
決めました。

そして、堀婦長から
平尾元軍医にあて、
毎月送金することにしました。
たとえ少額でも、
たとえ一回に
少しのことしかできなくても、
こうして積み立てていれば、
いつの日か
必ず地蔵菩薩を建てられる。

そうと決まると、
月給は少しでも高いに
こしたことはありません。
堀元婦長は、
給料の良い職場を求めて、
静岡県の清水市にある
病院に就職しました。

 *

戦後の何もない時代、
庶民の唯一の娯楽といえば
ラジオくらいしか
ありません。
なかでも謡曲や浪花節は
とても人気が高くて、
この時代に、
広沢虎造や
春日井梅鶯などが
庶民の人気をさらっていました。

その春日井梅鶯の弟子に、
将来を嘱望された
「若梅鶯」という
浪曲師がいました。
その若梅鶯が
熱海で口演をしたときのことです。

旅館のお帳場で
お茶を頂いていると、
旅館の社長さんが
週刊誌を手にしてくるなり
言いました。

「いやあ、すごいものですねえ。
 満州の長春で、
 ソ連軍の横暴に抗議して、
 22人もの看護婦が
 集団自決したんだそうですよ。
 終戦の翌年のことだけどね・・・」

若梅鶯は旅館の社長さんから
その週刊誌をひったくると、
むさぼるようにして
その記事を読みました。
読みながら、
若梅鶯は全身に
鳥肌がたちました。

「こんな酷いことが
 こんな辛いことが
 あったのか・・・」

若梅鶯こと松岡寛さんは、
敗戦時に樺太と
関わりを持っていました。
その樺太で、
ソ連軍による殺戮や
略奪、暴行、強姦の実態を
つぶさに知らされていたのです。
だから長春の看護婦たちの話も
他人事には思えませんでした。

松岡さんは、
一座の者に
堀婦長の居場所を探させました。
するとなんと
熱海からほど近い清水に、
堀婦長がいることがわかりました。

その日のうちに
松岡さんは清水へと向かいました。
堀元婦長の勤務する病院で
面談を申し込みました。
そして地蔵菩薩の建立に
資金的な協力をしたいと
申し出ました。

けれど堀元婦長は、
あっさりと断りました。
ただお金があれば
いいというものではない。
そんな思いが
婦長の心にあったからです。

けれど松岡氏も真剣でした。
「ならば、
 自分は浪曲家です。
 この語り継ぐべきこの悲話を、
 大切に伝えて行きたい。
 ぜひそうさせてください」

松岡さんの真摯な態度に、
堀婦長の心は動きました。
終戦から復員にかけての
混乱の中で、
亡くなった看護婦たちの身元が
わからなくなっていたのです。

浪曲家である松岡氏が、
物語にしてこれを全国で
口演してまわれば、
もしかすると
彼女たちの身元が
わかるかもしれない。

堀婦長は、
当時の様子を松岡氏に話しました。

松岡さんは、
誠実でまじめな人でした。
堀元婦長から聞いた話を、
従軍看護婦集団自殺の物語として
浪曲に仕立てました。

そしてこの物語を語るために、
世話になった師匠に事情を話して、
春日井若梅鶯の芸名を返上し、
師匠の一座を離れて、
無冠の松岡寛として、
白衣の天使たちの悲話の語り部として、
後半の人生を
生き抜く決意をしました。

いくら人気浪曲師の
一番弟子とはいっても、
独立すれば、
会社の看板のなくなった
サラリーマンと同じです。
なんのツブシもきかない。
ラジオのゴールデンタイムの
人気浪曲家だった若梅鶯は、
名前も変えて、
まるまる一から
地方巡業での
スタートをきることになりました。

終戦の悲話が、
直体験として
日本中に数多くあった時代です。

白衣の天使の集団自決の浪曲が
売れないはずはありません。
松岡さんの口演は、
またたくまに
全国でひっぱりだこに
なりました。

その松岡師匠は、
浪曲の中で必ず
「皆様の中で
 心当たりの方は
 いらっしゃいませんか?」
と問いかけてくれました。

三年余りの口演によって、
実に23名中、19名の
身元が判明したのです。

19名のご遺骨は、
ようやく
ご両親のもとに
帰ることができました。

松岡氏がこうして
巡業をしながら
看護婦たちの身元を
尋ねて回っていたころ、
堀婦長は、
自分の給料の中から、
実家にいる子供たちと、
元上司の軍医のもとへと
毎月少なからぬ積立金の
送金を続けていました。

その金額も
ある程度のものになったと
思われたので、
そろそろお地蔵さんの建立を
と思って
元上司に電話をしました。

すると、元上司は
「それなら、
 前にもお話した
 群馬県邑楽郡大泉村に
 建てましたよ」
という。

群馬県大泉村というのは、
看護婦たちが満州へ向かう前に、
厳しい訓練を受けたところです。
彼女たちにとって
出会いとゆかりの場です。

そこにお地蔵さんが建った。
ほんとうなら、
これほどうれしいことはありません。

ちょうど彼女たちが
亡くなってから
7周忌にあたる年でした。

堀元婦長は、
松岡師匠に
この話を伝えました。
松岡師匠も
たいへんに喜んでくれて、
「それなら
 私が見に行ってみましょう」
と請けあってくれました。

師匠はさっそく
群馬県大泉村の役場をたずねました。
地番を探して、
その場所に行きました。
そこはあたり一面、
草ぼうぼうの原っぱでした。
何もありません。
役場にとって返して
聞いてみたけれど、
地蔵なんて話は
聞いたこともないといいます。

堀元婦長にその話をすると、
どうしたことだろう、
ということになって、
元上司に
問い合わせをすることになりました。

すると、
よんどころない事情で、
お金を遣いこんでしまった
というのです
思い当たることはありました。
その上司の奥さんが、
結核で入院していたのです。

間が抜けていたといえば
それまでのことです。
汗水流して貯めた
貴重な地蔵尊建立基金は、
こうして霧散してしまいました。

その同じ年、
埼玉県大宮市に、
山下奉文将軍の元副官で、
陸軍大尉だった
吉田亀治さんという方が
自己所有の広大な土地に、
公園墓地「青葉園」を
開園しました。
昭和27年11月のことです。

そしてそこに、
沖縄戦の司令官である
牛島中将の墓を設け、
さらに園内に
青葉神社を建立し、
鶴岡八幡宮の白井宮司によって、
鎮座式も行なわれました。

青葉園が開園して間もない頃、
地元の大宮市(現・さいたま市大宮区)で
松岡寛師匠の浪曲の
口演がありました。

演目はもちろん
「満州白衣天使集団自決」
です。

この口演の際、
吉田亀治さんは、
松岡師匠から直接、
「堀元婦長は存命で、
 いまも看護婦たちの
 身元を探している。
 命日になると、
 亡くなった看護婦たちが
 寄ってきて、
 お地蔵さんの建立をせがむ」
などの話を聴きました。

吉田亀治さんは、
松岡師匠を介して
堀元婦長に面会しました。
そして、地蔵尊の制作と
青葉園へのご安置を
引き受けてくれたのです。

埼玉県大宮市は、
命を捨てて
危険を知らせに来てくれた
亡くなった大島花枝看護婦の出身地です。
なにやらすくなからぬ
因縁さえ感じます。

資金は、すべて吉田氏が
引き受けてくれました。

こうして大宮市の
青葉園のほぼ中央に、
彼女たちの慰霊のための
「青葉慈蔵尊」
が建立されました。

地蔵尊の墓碑には、
亡くなられた看護婦たちと
婦長の名前が刻まれました。

(五十音順)
荒川さつき 池本公代 石川貞子 井出きみ子 稲川よしみ 井上つるみ 大島花枝 大塚てる 柿沼昌子 川端しづ 五戸久 坂口千代子 相良みさえ 滝口一子 澤田一子 澤本かなえ 三戸はるみ 柴田ちよ 杉まり子 杉永はる 田村馨 垂水よし子 中村三好 服部きよ 林千代 林律子 古内喜美子 細川たか子 森本千代 山崎とき子 吉川芳子 渡辺静子
看護婦長 堀喜身子

【後日談】
夫と死に別れた堀元婦長は、その後お二人の子を連れ、寡婦としてがんばっていましたが、松岡師匠の温厚さと誠実さにふれ、後年、お二人はご結婚され、堀喜身子は、松岡喜身子となりました。

~~~~~~~~~~~~~

以上が、満州従軍看護婦の物語です。
以前にもそうでしたが、二日目(昨日)の、長春駅前での三人の女性の死のところでは、不覚にも涙でパソコンの画面が見えなくなってしまいました。

お地蔵さんが建立されている青葉園は、さいたま市にあって、その中央に「青葉慈蔵尊」があります。
何度か、献花に行かせていただきました。
また、村田先生をはじめ、いまも毎年、ゆかりの人たちが集って慰霊祭を行っています。

美しい公園墓地です。
牛島中将のお墓もあり、敷地内には戦争の祈念館もあります。
お近くの方は、一度お出かけになってみられたらいかがでしょうか。

いま、日本国家を解体しようとする人たちが、もりそばやかけうどんで大騒ぎしています。
けれど国家が崩壊したとき、どのようなことが起こるのか。
国というものが、いかに国民にとって大切なものなのか、
本稿を経由して、少しでもお感じいただけたら幸いに思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

満州従軍看護婦哀歌(1)
満州従軍看護婦哀歌(2)
満州従軍看護婦哀歌(3)

※本稿は、日本航空教育財団の人間教育誌「サーマル」平成18年4月号に掲載された「祖国遙か」をもとに書かせていただいた2011年3月の記事のリニューアルです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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コメント
これが斜め上の半島辺りの出来事ならば、謝罪だ!金よこせと火病で泣き叫ぶのでしょうか。
地元ですので青葉園には毎年お参りして居ります。
(1)~(3)を読んでポロリと流れる涙は色の無い血です。
語り継がねばなりません。
2018/03/17(土) 20:27 | URL | 竹千代 #-[ 編集]
大阪の闇
火のないところに煙を立てて、いかにも有罪であるかのような印象操作で安倍政権打倒を繰り広げている野党によって、財務省はやらなくても良かった書類の書換をやり、死者まで出ました。

これは野党の責任です。森友問題で籠池氏は大阪地検に不法行為で逮捕されています。籠池氏は安倍首相や夫人の名前を出して寄付集めや土地購入に利用していました。

この事件で表に出ていない闇があります。籠池夫人のメールにあった「辻元清美議員」の名前と「連帯ユニオンから派遣されたという作業員」のことです。

土地のゴミ処理などを請け負ったのは藤原工業で、その下請けの松田造園の作業員が前記の「派遣作業員」です。松田造園の社長は9m下にゴミはなかったと言っているのに、作業員は「埋め戻した」と報道関係者に発言しています。

その翌日、松田造園の社長が亡くなりました。警察と消防は自殺処理していますが遺族は病死(心筋梗塞)と言っています。藤原工業を紹介したのは大阪府議のようです。そして近畿財務局との売買交渉に関わった弁護士、酒井氏も紹介されています。

9m下にゴミがあったと言ってゴミ処理費用を請求させたのは誰か。籠池氏ではなさそうです。籠池氏はそれを利用して近畿財務局を恐喝しただけかも知れません。

大阪地検の捜査で真実がわかるかも知れないが闇のまま葬られるかも知れません。詳しく知りたければ下記の動画を見て下さい。
辻元清美議員は隣の土地売買に関わっています。

https://www.youtube.com/watch?v=Iq0dI-gUeug
2018/03/17(土) 10:30 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
No title
すみません。
このタイトルだけで悲しくて、読めません。
(日を改めて、読みたいと思います。)
ただ一つだけ思うのは、

> ソ連軍進駐によって、病院の看護婦に出された異動命令は、実は売春の強制だった。

これは断じて「売春」ではありません。
「性奴隷」そのものだと思います。
その結果の「自死」ではないでしょうか。

これを、戸塚悦郎弁護士に読ませ、その感想を聞きたいと思います。
2018/03/17(土) 08:40 | URL | ポッポ #/5dmJF4E[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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