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琉球王は、投石した住民を逮捕し、ぺリー同席のもとで裁判を行い、彼を八重山に流刑にしました。
流刑になった犯人は、妻を犯され、息子を殺された被害者だった男です。
そして加害者である米国人水兵の狼藉は一切問題にされることはありませんでした。


ペクサン砲
20181018 ペクサン砲


【お知らせ】
<東京・倭塾、百人一首塾他>
会場は都営新宿線船堀駅前にある「タワーホール船堀」です。
10月8日(月)13:30 第55回 倭塾 研修室 1330-160
10月27日(土)18:00 第30回 百人一首塾 407会議室
11月13日(火)18:00 第31回 百人一首塾 307会議室
11月25日(日)18:00 第56回 倭塾 研修室
12月6日(木)18:00 第32回 百人一首塾 301会議室
12月24日(月)13:30 第57回 倭塾 研修室
1月14日(月・祭日)13:30 第58回 倭塾
1月26日(土)18:00 第33回 ねず式ゼミナール
2月2日(土)13:30 第59回 倭塾
2月23日(土)18:00 第34回 ねず式ゼミナール
<関西・倭塾>
10月19日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月9日(金)19:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)
<国内研修>
12月16日(日)~17日(月) 一泊二日 神話を体感する会
11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。


日本は古代から現代にいたるまで、ずっと天皇を中心としてきた国柄を持ちます。
ですから、鎌倉幕府も足利幕府も織豊時代も徳川時代も、それらは天皇という国家最高権威の下で政務を司る、いわば政権交替にすぎません。

江戸時代、諸藩のことは「国」と呼ばれていましたが、国という字は、いまでこそ国家を意味する用語となっていますが、もともと日本語の「クニ」は、そういう意味の語句ではありません。
日本語の伝統は、古くは1万年以上も昔の縄文時代にまでさかのぼりますが、自分や自分の家族が住むのが「イエ」です。

そして一族が住んでいるのが「ムラ」で、その「ムラ」がいくつか合わさったものが「クニ」です。
ですから郷里と書いても、やはり「クニ」と読みます。
要するに山河を越えて、血縁関係のある人たちみんなが暮らすのが「クニ」であるわけです。

律令体制が構築されて、朝廷から全国に国司が派遣されるようになる以前までは、そもそも国境なんてまだない時代ですから、倭種(倭人)が住むエリアが「我がクニ」です。
この「クニ」は、日本から海を渡ること1年行った先にある裸国や黒歯国も、日本のうちとされていましたから、倭人たちの「クニ」はものすごく巨大な古代の大国であったわけです。

その倭人たちの頂点におわすのが天皇で、その天皇が天の下をしろしめされる範囲が、「アメノシタ」です。
その「アメノシタ」に、いくつもの同族が住む「クニ」があり、その「クニ」の中に「ムラ」があります。

律令以降、そのクニに国司が派遣されることになりましたが、あまり遠いところまでは行けないので、そこから、我が国は、琉球を含めた日本列島の中に絞られるようになるのですが、それでも用語としての「アメノシタ」は、残っていました。
ですからよく「天下統一」といいますが、それは天の下だから世界全体を示すのではなく、日本国内における政権の統一を意味する言葉としてしか我が国では使われません。

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江戸時代に政権を任されていたのが徳川家ですが、徳川の治世の最大の理念は、兎にも角にも我が国から「いくさ」をなくすことにありました。
ですからそのために、全国の諸大名の配置も変えたし、大名には江戸に人質を置くことを強制し、さらには参勤交代を義務づけて、諸大名の財力と抵抗力を削ぐということも行われていたわけです。

その「参勤交代」が、実は秀吉の時代の朝鮮征伐に、全国の大名がいくさ仕度で九州にまで狩り出されたことの変形であるというお話は、先日書かせていただきました。
こうした徳川の政治体制によって、日本の民衆は、いくさのない、江戸270年の太平の世をすごすことができました。
家康は、なによりも「いくさ」のない世の中を希求し、そしてそれを完全に実現したわけです。

徳川家の平和への願いは徹底したものです。
たとえば全国の武士たちがヒゲをはやすことまで、事実上これを禁じています。
男がヒゲを生やすのは武威を張り、徳川の天下に危害を及ぼす目的を持ったものだ、というのです。

また有名な生類憐れみの令は、綱吉が犬公方と町民に陰口を叩かれたとか、どうでもいいことをさかんに宣伝する人がいますが、実は幕末までに、生類憐れみの令は繰り返し何度も発布されています。
犬畜生でさえ命を大切にしなければならない。
まして人間をや、というわけです。

武士は腰に日本の刀をさします。
人間ですから、ついカッとなって刃傷沙汰に及ぶこともあるかもしれません。
それを厳に戒めたのが生類憐れみの令だったのです。

そもそも江戸時代の武士が腰に大小二本の刀をさすのは、戦国時代には、敵将の首を落とすためといった目的がありましたが、江戸時代は異なります。
江戸時代の武士は、秩序を守るための存在ですから、目の前に不条理があれば、その者を斬って捨てる権限を与えられています。
しかしたとえ相手が極道者であったとしても、人は人です。
長い方の刀で斬捨御免をしたら、武士はその責任はきちんととって短い方の刀で腹を斬るのです。
それほどまでに、人の命の尊厳を認めたのが、江戸時代であったわけです。

その徳川幕藩体制が崩壊したのは、外圧によるものでした。
その外圧のなかで、とりわけ大きなきっかけとなる影響を持ったといわれているのが、ペリーによる黒船来航です。
そのペリー来航について、あたかもペリーが突然やってきたために、日本中が大慌てしたようなことを書いている教科書などがありますが、大きな間違いです。

幕府は、米国からペリー艦隊が日本に開国を求めてやって来ることも、ペリーが米国を出発した日も、何隻の艦隊で来るのかも、何名の乗組員がいるのかも、艦に搭載した大砲の数も、船名も、事前に全部掌握していました。

嘉永6年(1853年)に、ペリーが米海軍・東インド艦隊の蒸気船2隻を含む軍艦4隻で横須賀の久里浜に到着したときも、幕府は少しもあわてずに、浦賀にペリーの艦隊を案内しています。
久里浜から浦賀に案内した理由は簡単なことで、当時の久里浜は砂地であったため、船の接岸ができなかったのです。
そこで投錨可能な浦賀に案内をしたのですが、幕府が恐れたのは、鉄の船だからではありません。

そもそも当時の武士たちが、「海水より重い鉄で出来た船が海に浮かんでいる様子を見てど肝を抜かした」などと馬鹿げた妄想を書いている人もいるようですが、とんでもない話です。
鍋や釜も鉄でできていますが、ちゃんと水に浮かびます。
そうではなくて、ペリーが黒船に世界で初めて搭載した砲を恐れたのです。

その砲はペクサン砲といって、炸裂弾を水平に発射することができ、しかも着弾までの距離が、それまでの大砲とは比べ物にならないくらい遠距離でした。
江戸の町並みは木造です。
そのような炸裂弾を用いられたら、江戸に大火災が起きて、庶民が犠牲になります。
そういう事態は絶対に避けなければならない。
だから、それ以前にもいろいろな国が我が国に通商を求めてやってきていますが、それらを全部退けていた日本が、ペリーだけは迎え入れたのには、そういう理由があったからです。

もっともそのペリーは、いざ日本に到着してみたら、沿岸に何万という兵が出動している姿を目の当たりにします。
さしもの軍艦でも、それだけの大軍が相手では、上陸は難しい。
そこで幕府の要望を飲む形で、1年の猶予を設けて、いったん沖縄に去っています。

実はこのときペリーが恐れた沿岸の大軍は、なんのことはない、江戸から黒船見物のために弁当持参で物見遊山にやってきた町人たちでした。
その町人たちが、頭の上に銃を構えてこちらにしきりに大声で気勢をあげている。
実は頭の上の銃というのは、チョンマゲだったのですが、それが銃に見えたわけです。

そのぺりーについて、日本を開国させたたいへんな紳士であり、素晴らし人格者で、だから日本は開国に応じたのだと書いている人もいるようです。
実際のペリーの人格がどうであったかは、自分は会ったことがないのでわかりません。
ただ、ペリーが1年の猶予を設けて江戸を去ったあと、彼の艦隊は沖縄に投錨しているのですが、そのときの様子なら、いまでもしっかりとその記録が残っています。

ペリーは沖縄本島に到着すると、艦隊の全砲門を首里城に向けたまま、重武装した500人の兵を上陸させ、速射できる大砲を前面に押し立てて、そのまま首里城まで進軍し、琉球王に食料と艦船の燃料である石炭の提供を「命じ」ています。

琉球王が謁見し、「沖縄は石炭を産出しない」というと、ペリーは、
「ならば琉球諸島全部から
 石炭を探して
 掘ってでも持ってこい。
 持ってこなければ大砲を打ち込み、
 全員皆殺しにする」
といいました。

けれどもとにかく石炭はないと答えると、
「上陸した乗組員たちの
 自由な行動を認めろ」
というので「その程度ならば」と安心して承諾すると、上陸したペリー艦隊の乗組員たちは、街を歩く若い琉球の女性の乳房を触るだけでなく、昼間から市中で強姦を始めています。
あるいは勝手に民家に上がりこんで、仏壇にお供えしてある酒や食べ物のみならず、先祖の「位牌」まで持って行ってしまう。
さらには強姦に抵抗しようとした住民に向けて銃を発砲し、十二歳の少年を含む三人の村人を負傷させたほか、ナイフを突きつけて民家に押し入り、強姦、暴行、傷害をほしいままにしました。

これにはさすがに琉球の住民たちも怒って、ついに米国人水兵たちに投石をはじめたのですが、この結果、ウイリアム・ボードという水兵ひとりが、石のあたりどころが悪くて死亡しています。
するとペリーは、石を投げつけた住民たちを、逮捕し、死罪にせよと琉球王に要求しました。

琉球王は、投石した住民を逮捕し、ぺリー同席のもとで裁判を行い、彼を八重山に流刑にしました。
流刑になった犯人は、妻を犯され、息子を殺された被害者だった男です。
そして加害者である米国人水兵の狼藉は一切問題にされることはありませんでした。

同じことが江戸で起きていたら・・・。

別に米国を悪く言うつもりはありません。
ただその時代には、その時代の人達の思考と行動があるのです。

当時の米国は、南部諸州は綿花を栽培し、それを英国に売ることで巨万の富を得ていましたが、北部諸州には産業らしい産業が育っていません。デトロイトの自動車産業が興隆するのは、もっとずっと後の時代のことです。
ペリーの時代には、唯一の産業といえば、大西洋での捕鯨くらいなものです。
クジラは豊富な脂肪を持っていますが、これが西洋で使われるロウソクの原料になったのです。

ところが米国は、その唯一の商売ダネのクジラを、乱獲によって大西洋で絶滅させてしまいます。
わずか百年ほどの間に、陸上ではインデアンを、海洋ではクジラを絶滅させたわけです。
そこで今度は太平洋にクジラを求めるようになったのですが、太平洋は広い。
どうしても補給のための海上基地が必要になります。

当初は、その補給基地として小笠原諸島が使われたりしていました。
そこでペリーは、浦賀にやってくる一ヶ月前に小笠原の父島に上陸し、同地の領有を宣言するのですが、これは即時英国から文句を言われたために、米国は島の領有をあきらめています。

一方日本は、ペリーの艦隊が二度目に江戸湾にやってきたときに、彼らに大砲を発射させないために、江戸湾に砲台のための人工島を用意することになりました。
当時の艦隊の大砲には、今の時代のようなジャイロスコープは付いていません。
ですから揺れる船体から発射する砲弾は、どうしても正確さを欠きます。
これに対し陸上からの砲撃は、正確に敵船を打ち砕くことができます。
そこでペリーの艦隊が発砲すれば、即座に十字砲火によってペリー艦隊を殲滅できるように、海の中に人口の島をつくることにしたのです。

こうしてできたのが、東京のお台場の3つの島です。
その島は、いま東京タワーが建っている高輪の山を切り崩して海中に作りました。
すべて人力の手作業です。
しかもあのいまでも使われている台場を、3つも、およそ半年で幕府は完成させています。
当時の日本の海洋土木工事の技術力の高さが伺えますが、それを可能にしたのが、日本の職人芸です。

そしてどうしてそんな職人が、日本に育ったのかといえば、日本が上古の昔から、末端の人々をこそ天皇の「おほみたから」として、大切に育むという国のかたちを築いてきたからです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
No title
おららー

重箱の隅を突くな歴史ゴロ
2018/11/04(日) 00:34 | URL | あ #-[ 編集]
19世紀
> その砲はペクサン砲といって、炸裂弾を水平に発射することができ、しかも着弾
> までの距離が、それまでの大砲とは比べ物にならないくらい遠距離でした。

ぺクサン砲の「射程が長い」というのは「炸裂弾を平射する砲としては」であって、当時最長射程という意味ではありません。大砲(銃もそうですが)は仰角45度が最大射程になりますが、これだと砲弾は一度上空に上がって落ちてくる弾道軌道を描きます。目標に命中させるためには弾道計算が必要です。

地上の制止目標が標的なら悠長に計算を行う曲射攻撃でもいいのですが、船舶のような動目標を相手にする場合、これでは命中弾を期待できません。そこでこの時代の艦砲は平射砲が主力となるのですが、これは実体弾(鉄球)を速い初速で打ち出してやり、運動エネルギーで敵艦を破壊するというものでした。

木製軍艦に対しては、命中しても舷側の一部をぶち抜くだけの鉄球弾よりも爆発・炎上する炸裂弾の方が有効なのは分かっていましたが、炸裂弾を高初速で打ち出そうとすると発射前に砲身内で先に爆発してしまい、なかなか実用化できなかったのです。

それらの課題を解決して、鉄球を打ち出す平射砲と互角程度の射程を持つ炸裂弾艦砲として、列強海軍で広く採用されたのがぺクサン砲です。資料ではぺクサン砲の最大射程は3キロあまりとなっていますが、これは仰角を大きくしたときのものでしょう。ぺクサン砲の真骨頂である水平射撃の際の適正距離は数百メートルだと思われます。

ペリー艦隊はパロット砲やダールグレン砲といったさらなる巨砲を持っていました。江戸攻撃であれば、これら地上攻撃用の野砲で150ポンド弾をぶち込めばよく、海上戦闘用の平射砲を使う理由はありません。

幕府が台場を築いたのはパロット砲などの巨砲による江戸直接攻撃に備えたものでしょうが、幕府が本当に困ったのはペリー艦隊は浦賀沖に居座ったこと。浦賀水道は江戸湾の入り口、江戸海上交通のチョークポイントに当たります。ここを「圧倒的な海上戦力」で封鎖されれば、江戸は干上がってしまいます。幕府が黒船の脅威を深刻に捉えていたのは確かだと思います。


> 北部諸州には産業らしい産業が育っていません。デトロイトの自動車産業が興隆
> するのは、もっとずっと後の時代のことです。

19世紀前半は蒸気船の時代。エリー運河(1825年)に代表される水路の整備によって東海岸では造船業がさかんになり、鉄鋼需要の高まりによって五大湖周辺の炭鉱地帯と鉄鉱石資源を水運で結んだ製鉄業が勃興します。南北戦争になると鉄鋼需要はさらに高まり、ピッツバーグが軍需産業の一大拠点となり、クリーブランドやバッファローなどでも重工業が起こります。戦後になると南部の農産物はミシシッピ川を遡上してシカゴに集積されるようになり、ニューヨーク経由ヨーロッパ向け輸出の拠点となります。

なお、ペリー座乗のフリゲート艦「サスケハナ」はニューヨーク海軍造船所、「ミシシッピ」はフィラデルフィア海軍工廠、「サラトガ」はポーツマス海軍工廠、「プリマス」はボストン海軍工廠で作られた船でした。

ペリーの時代は、南部の農業生産を北部の工業生産が追い抜くかどうかというころなので、それ以前は南部が優位だったという言い方はできるかもしれませんが、北部諸州に産業らしい産業が育ってないはやや言い過ぎだと思います。
2018/10/23(火) 15:34 | URL | おららー #-[ 編集]
No title
こういうサイトがあります。
https://www.oufusha.net/sitemap/
2018/10/23(火) 11:18 | URL | junn #p4GOlP7Y[ 編集]
No title
おはようございます!今日も拝読させていただきました。
ありがとうございます。シェアさせていただきます。
少し前、僕たちが教えてもらった所謂日本史は嘘とまでは
言いませんが、誤った情報や曲解、捏造が本当に多いと
いうことに気付かされて本当に愕然としました。
中学校の日本史の先生が年表を黒板だけでは足りなくて
教室の壁に延々と書き連ねていた事を思い出しました。
僕が受けた日本史、世界史は年表の授業でした。
だから、面白くなかった。ねず先生のブログや書籍を
読むことでずいぶん記憶の修正が出来たと思います。
ただ、中韓は未だ臆面もなく激しく歴史の修正、捏造を
繰り返していると思います。我が国の大本から大改革を
しないと日本人としてのアイデンティティがどんどん
失われていきそうです。
あらゆる分野であらゆる手段を駆使して中韓の影響を排除
しなければなりません。相当手強いと思いますが、我が国の
未来のためにすぐにでもやってほしいと思います。
2018/10/23(火) 11:07 | URL | 岡 義雄 #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

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