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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


義和団事件とコロネル・シバ

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会津若松城
会津若松城
なぜトップ画像が鶴ヶ城なのかは、
以下をお読みなるとわかります^^b


以下は、日本の心をつたえる会のMLに、鷲さんが投稿された記事の転載です。

鷲さんは、この記事を) 国際派日本人養成講座のメルマガでお知りになられたそうです。

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「人物探訪:コロネル・シバ」
~義和団に襲われた公使館区域を守る多国籍軍
の中心となった柴五郎中佐と日本軍将兵の奮戦~

■1.唐突な日英同盟締結の背景■

ちょうど100年前の明治35(1902)年1月30日、日英同盟が成立した。
同盟締結を推進したのは、駐日公使マグドナルドであった。
マグドナルドは前年夏の賜暇休暇にロンドンに帰るとソールズベリー首相と何度も会見し、7月15日には日本公使館に林菫公使を訪ねて、日英同盟の構想を述べ、日本側の意向を打診した。
マグドナルドは翌日も林公使を訪問して、イギリス側の熱意を示した。
それからわずか半年後には異例のスピードで同盟締結の運びとなった。

イギリスが日本と結んだのは、ロシアの極東進出を防ぐという点で利害が一致したからである。しかし、当時の超大国イギリスがその長年の伝統である「光栄ある孤立」政策をわずか半年で一大転換し、なおかつその相手がアジアの非白人小国・日本であるとは、いかにも思い切った決断である。
その背景にはマグドナルド公使自身が一年前に経験した一大事件があった。

■2.義和団の地鳴り■

明治28(1885)年、日清戦争に敗北して、清国が「眠れる獅子」ではなく「眠れる豚」であることを露呈するや否や、列強は飢えた狼のようにその肉に食らいついていった。
三国干渉により日本に遼東半島を返還させると、それをロシアがとりあげ、同時にドイツは膠州湾と青島、フランスは広州湾をむしりとる。
イギリスは日本が日清戦争後にまだ保障占領していた威海衛を受け取り、さらにフランスとの均衡のためと主張して香港島対岸の九龍をとった。

こうした情況に民衆の不満は高まり、義和団と称する拳法の結社があらわれた。
呪文を念じて拳を行えば、刀槍によっても傷つくことはない、と信じ、「扶清滅洋(清国を助け、西洋を滅ぼせ)」をスローガンとして、外国人やシナ人キリスト教徒を襲うようになっていった。

明治33(1900)年5月28日、義和団の暴徒が北京南西8キロにある張辛店駅を襲って、火を放ち、電信設備を破壊した。
北京在住の列強外交団は、清国政府に暴徒鎮圧の要求を出す一方、天津の外港に停泊する列国の軍艦から、混成の海軍陸戦隊400名あまりを北京に呼び寄せた。
日本も軍艦愛宕からの25名の将兵が参加した。今風に言えば多国籍軍である。

6月4日、北京-天津間の鉄道が、義和団によって破壊された。
北京の外交団は万一の場合の脱出路を奪われた形となった。
すぐに2千の第2次混成部隊が出発したが、鉄道の修復に時間がかかり、いつ北京にたどり着けるか、分からない状態だった。

■3.籠城計画■

北京の公使館地域は東西約9百メートル、南北約8百メートルの方形であり、ここに欧米10カ国と日本の公使館があった。
6月7日、各国の公使館付き武官と陸戦隊の指揮官がイギリス公使館に集まって、具体的な防衛計画が話し合われた。

日本の代表は、この4月に赴任したばかりの柴五郎中佐であった。
柴は英仏語に堪能で、また地域の詳細な防御計画も持参していたが、始めのうちは各国代表の議論を黙って聴いていた。
日本の兵力が少ないこともあったが、まずは各国の人物、能力を見極めようという腹だった。
さらに東洋人がいきなり議論をリードしては欧米人の反発を招くということも十分に心得ていた。

柴は会議の流れを掴むと、目立たない形で、自分の計画に合う意見については「セ・シ・ボン(結構ですな)」と賛意を示し、また防御計画の要については、ちょっとヒントを与えると、別の列席者がさも自分の発案であるかのように提案する、という形で、巧みに議論を誘導して、自分の案に近い結論に持っていった。

■4.義和団の来襲■

6月11日、日本公使館の杉山書記生が惨殺された。
救援部隊が来ないかと北京城外に出て、戻ろうとした所を清国の警備部隊に捕まり、心臓を抉り抜かれ、その心臓は部隊長に献上された。
外交団は治安維持の頼みとしていた清国官憲までも外国人襲撃に加わったことに衝撃を受けた。

13日、公使館区域に4,5百人の義和団が襲いかかった。
おおぜいたむろしている清国官兵は、見て見ぬふりをしている。
しかし刀や槍を振り回す暴徒は、列国将兵の銃撃に撃退された。
14日、怒った暴徒は、公使館区域に隣接するシナ人キリスト教民の地域を襲った。
凄まじい男たちの怒号と、女子どもの悲鳴が公使館区域まで聞こえてきた。一晩で惨殺された教民は千人を数えた。

15日、タイムズの特派員G・モリソンはイギリス公使マグドナルドを説き、20名の英兵を率いて5百人余りの教民を救出してきた。
しかし、それだけの人数を収容する場所がない。
困ったモリソンが、シナ事情に詳しそうな柴中佐に相談すると、柴は即座に公使館地域の中央北側にある5千坪もの粛親王府を提案した。
粛親王は開明派で、日本の近代化政策を評価していた。
柴が事情を話してかけあうと、教民収容を快諾した。

この王府は小高くなっており、ここを奪われれば、公使館地域全体を見下ろす形で制圧されてしまう。
この事に気づいていた柴は教民たちを動員して保塁を築き始めた。
欧米人と違って、日本人の多くはシナ語を話せたため、彼らは日本兵によくなつき、熱心に協力した。
また30名ほどの義勇兵も出て、日本軍と共に自衛に立ち上がった。

■6.清国軍も攻撃開始■

6月19日、シナ政府から24時間以内に外国人全員の北京退去を命ずる通牒があった。
抗議に赴いたドイツ大使は清国兵にいきなり銃撃され、即死した。

20日午後からは、地域の警備についていた清国軍が公然と攻撃を始めた。暴徒とは異なり近代装備を持つ清国軍は大砲まで持ち出して、公使館区域を砲撃した。

最初の2日間の戦いで区域の東北端に位置するオーストリーとベルギーの公使館が火を放たれて、焼かれた。西正面と北正面を受け持っていたイギリス兵は、イギリス公使館が西から攻撃を受けると、そちらに移動してしまった。

北正面ががらあきとなり、清国軍が侵入するには絶好の隙間が生じてしまった。
少数の日本将兵と教民たちがたてこもる北辺の粛親王府が破られれば、そこから清国軍は区域全体を見下ろし、砲撃することができる。清国軍は激しい攻撃を加えてきた。

区域全体の総指揮官に推されたイギリス公使マグドナルドは、粛親王府の守備を固めるために、イタリア、フランス、オーストリー、ドイツの兵に柴中佐の指揮下に入るよう命じたが、兵達は土地は広く、建物は迷路のように錯綜する王府を見ると、「とてもじゃないが守りきれない」とそれぞれ自国の公使団保護に帰ってしまった。

■7.日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ■

王府防衛の有様を柴中佐の指揮下に留まっていたイギリス人義勇兵の一人B・シンプソンは次のように日記に記した。

数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢の日本軍は、王府の高い壁の守備にあたっていた。
その壁はどこまでも延々とつづき、それを守るには少なくとも5百名の兵を必要とした。
しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。
公使館付き武官のリュウトナン・コロネル・シバ(柴中佐)である。・・・

この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめていた。
彼は部下たちを組織し、さらに大勢の教民たちを召集して、前線を強化していた。実のところ、彼はなすべきことをすべてやっていた。
ぼくは、自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。

この後、王府を守る柴中佐以下の奮戦は、8月13日に天津からの救援軍が北京に着くまで、2ヶ月余り続く。
睡眠時間は3,4時間。
大砲で壁に穴をあけて侵入してくる敵兵を撃退するという戦いが繰り返し行われた。
総指揮官マグドナルド公使は、最激戦地で戦う柴への信頼を日ごとに増していった。
イタリア大使館が焼け落ちた後のイタリア将兵27名や、イギリス人義勇兵を柴の指揮下につけるなど迅速的確な支援を行った。

6月27日には、夜明けと共に王府に対する熾烈な一斉攻撃が行われた。
多勢の清国兵は惜しみなく弾丸を撃ちかけてくる。
弾薬に乏しい籠城軍は、一発必中で応戦しなければならない。
午後3時頃、ついに大砲で壁に穴を明けて、敵兵が喊声を上げながら北の霊殿に突入してきた。柴は敵兵が充満するのを待ってから、内壁にあけておいた銃眼から一斉射撃をした。
敵は20余の死体を遺棄したまま、入ってきた穴から逃げていった。
この戦果は籠城者の間にたちまち知れ渡って、全軍の志気を大いに鼓舞した。

イギリス公使館の書記生ランスロット・ジャイルズは、次のように記している。

王府への攻撃があまりにも激しいので、夜明け前から援軍が送られた。
王府で指揮をとっているのは、日本の柴中佐である。・・・

日本兵が最も優秀であることは確かだし、ここにいる士官の中では柴中佐が最優秀と見なされている。
日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。
わがイギリス水兵がこれにつづく。
しかし日本兵がずば抜けて一番だと思う。

■8.安藤大尉の奮戦■

王府を守りながらも、柴中佐と日本の将兵は他の戦線でも頼りにされるようになっていった。
アメリカが守っている保塁が激しい砲撃を受けた時、応援にかけつけたドイツ、イギリス兵との間で、いっそ突撃して大砲を奪ってはどうか、という作戦が提案され、激しい議論になった。
そこで柴中佐の意見を聞こうということになり、呼び出された柴が、成功の公算はあるが、今は我が方の犠牲を最小にすべき時と判断を下すと、もめていた軍議はすぐにまとまった。

イギリス公使館の正面の壁に穴があけられ、数百の清国兵が乱入した時は、柴中佐は安藤大尉以下8名を救援に向かわせた。
最も広壮なイギリス公使館には各国の婦女子や負傷者が収容されていたのである。

安藤大尉は、サーベルを振りかざして清国兵に斬りかかり、たちまち数名を切り伏せた。
つづく日本兵も次々に敵兵を突き刺すと、清国兵は浮き足立ち、われさきにと壁の外に逃げ出した。
館内の敵を一掃すると、今度はイギリス兵が出撃して、30余名の敵を倒した。
安藤大尉らの奮戦は、イギリス公使館に避難していた人々の目の前で行われたため、日本兵の勇敢さは讃歎の的となり、のちのちまで一同の語りぐさとなった。

後に体験者の日記を発掘して「北京籠城」という本をまとめ上げたピーター・フレミングは本の中でこう記述している。

戦略上の最重要地点である王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。・・・ 日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの士官よりも勇敢で経験もあったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。

当時、日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったが、この籠城をつうじてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになった。

日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。
籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本
人だけである。

■9.コロネル・シバ■

救援の連合軍が、清国軍や義和団と戦いながら、ついに北京にたどりついたのは、8月13日のことだった。
総勢1万6千の半ばを日本から駆けつけた第5師団が占めていた。
その他、ロシア3千、英米が各2千、フランス8百などである。
籠城していた柴中佐以下は、ほとんど弾薬も尽きた状態だった。

14日、西太后の一行は西安に向けて脱出した。
その午後、北京入城後最初の列国指揮官会議が開かれた。
冒頭マグドナルド公使が、籠城の経過について報告した。
武器、食糧の窮迫、守兵の不足、将兵の勇敢さと不屈の意志、不眠不休の戦い、そして公使は最後にこう付け加えた。

北京籠城の功績の半ばは、とくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである。

柴中佐が日本軍将兵と日本人義勇兵にこの言葉を伝えると、嗚咽の声が漏れた。誰もが祖国の名誉を守り、欧米の人々からも認められた誇らしい感情を味わっていた。

柴中佐はその後も日本軍占領地域では連合軍兵士による略奪を一切許さず、その治安の良さは市民の間のみならず、連合軍の間でも評判となった。

柴中佐には欧米各国からも勲章授与が相継ぎ、またタイムズの記者モリソンの報道もあいまってコロネル・シバは欧米で広く知られる最初の日本人となった。
その後、総指揮官を務めたマグドナルドは駐日大使に転じ、日英同盟の締結を強力に押し進めていくことになる。
柴中佐と日本将兵の見せた奮戦ぶりから、日本こそは大英帝国が頼みにするに足る国と確信したのであろう。
(文責:伊勢雅臣)
国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm

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柴五郎中佐
柴五郎中佐


義和団事件というのは、清国の権力者だった西太后が、首都・北京在住の外国人を人質にとって、諸外国に宣戦布告した事件です。
この事件で、北京の公使館区域は、清国正規軍と、義和団の暴徒によって包囲・攻撃を受けました。
そして、4000人以上の外国人たちが百日間の籠城を強いられたのです。

この時、北京に公使館を開いていたのは、英・米・仏・露・独・墺(オーストリア)・伊・蘭・ベルギー・スペインの欧米10カ国と日本でした。

各国の艦隊は、救援のために北京へと向かおうとするけれど、途中、清国軍に行く手をはばまれて退却。
8月に入ってようやくたどり着いた連合国の援軍の半数は、日本軍だった。

籠城戦を戦い抜いた柴五郎中佐は、万延元年5月3日(1860年6月21日)会津藩士(280石)柴佐多蔵の五男として生まれた方です。

藩校日新館、青森県庁給仕を経て、明治6(1873)年3月、陸軍幼年学校に入校しました。
明治10(1877)年)5月に陸軍士官学校に進み、明治13(1880)年12月、陸軍士官学校を卒業。
同期には、上原勇作元帥や内山小二郎・秋山好古・本郷房太郎の各大将がいます。

そして柴中佐だけでなく、日本兵のひとりひとりが皆、勇敢だった。

本文に出てくるP・フレミングの「北京籠城」によると、あるイギリス人の義勇兵はとても人間業とは思えない光景を見たと言って、こう語っています。

「隣の銃眼に立っている日本兵の頭部を銃弾がかすめるのを見た。
真赤な血が飛び散った。
しかし、彼は後ろに下がるでもなく、軍医を呼ぶでもない。
『くそっ』というようなことを叫んだ彼は、手ぬぐいを取り出すと、はち巻の包帯をして、そのまま何でもなかったように敵の看視を続けた」

「また、戦線で負傷し、麻酔もなく手術を受ける日本兵は、ヨーロッパ兵のように泣き叫んだりはしなかった。
彼は口に帽子をくわえ、かみ締め、少々うなりはしたが、メスの痛みに耐えた。
しかも彼らは沈鬱な表情一つ見せず、むしろおどけて、周囲の空気を明るくしようとつとめた。日本兵には日本婦人がまめまめしく看護にあたっていたが、その一角はいつもなごやかで、ときに笑い声さえ聞こえた」

「長い籠城の危険と苦しみで欧米人、とりわけ婦人たちは暗かった。
中には発狂寸前の人もいた。
だから彼女たちは日常と変わらない日本の負傷兵の明るさに接すると心からほっとし、看護の欧米婦人は皆、日本兵のファンになった」

阪神大震災のときにも、自分のことよりも、人のことを優先する姿がそこここで見られたといいます。日本人はいまも昔も日本人なのですね^^ 

また救出に向かった日本派遣軍の司令官福島安正少将旗下の師団も、ずば抜けて勇敢に戦い、連合軍将兵の舌を巻かせたといいます。

このため事件後も、北京に住む中国人の一般市民は、日本軍を「義軍」として讃え、競って日本軍の占領下に入ってきたといいます。
日清戦争での日本軍将兵の規律ある行動は、広く言い伝えられ、まだ忘れられていなかったのです。

庶民を苦しめてなんとも思わない施政者と、庶民の平和と安定と保護を第一に考える日本人兵士。北京の一般市民が、そのどちらを頼りに思ったかは、火を見るよりも明らかなことです。
ところが、昨今のシナでは、むしろ義和団側を勇敢な戦士と称えている。
これなども、施政者によって歴史が歪められているいい例といえます。 

そして、連合軍の攻撃が成功し北京が解放された後にも、柴中佐は、抜群の民政と治安維持を行います。
清国兵と義和団の暴徒を追い払ったものの、暴力や略奪者が横行する北京において、いち早く治安を回復したのは「日本軍占領区域」でした。

そのため他国の占領区域から、日本占領区域に移り住む市民が後を絶たず、町は日に日に繁昌した。
日本軍は横行する強盗や窃盗、無頼漢らは、容赦なく捕えて厳罰に処したのです。また暴行・略奪をした外国人兵士(その筆頭がロシア兵だった)を捕えると、彼らの軍司令部に突き出した。

それだけではありません。
柴中佐と福島少将は、清国政府の国益を守るためにも奮闘した。
清国皇族で実力者の慶親王に「一刻も早く北京に戻り、列国と交渉を始めなければ、清国はその存立が危ない」と使者を送っているのです。

案の定、この北京攻略戦には一兵も参加しなかったドイツが、続々と大兵を送り込み、その兵たちは北京で稼ぎそこなった分を他の諸都市で略奪しはじめた。そういう時代だったのです。

混乱に乗じて全満州を制圧したロシアは、中国を丸ごと手中にしようと、慶親王の誘拐を計画する。
これにはイギリス公使マクドナルドがいちはやく情報をキャッチし、柴中佐らと協力して、慶親王の安全を確保してことなきを得ています。

また、事件後、清国と連合国のあいだでは、延々と賠償会議が続いた。
この時、最大の賠償金を吹っかけたのがロシア、一番少なかったのが我が日本で5000万円です。イギリスが日本の5倍(ただし、出兵数の比で見ると日本の次に低額)、戦後になってドッとやってきたドイツはイギリスの2倍、わずかな兵を出しただけのフランスも我が国の2倍(出兵数の比で日本の100倍)を要求しています。  

義和団の乱に乗じて、自分の政治権力の強化をはかった西太后は高い代償を払うことになりました。
不平等条約や租借地を無くしたいのなら、それが条約で決められたものである以上、我が国のように「条約改正」に努力するほかありません。
なぜなら、それが国際社会のルールだからです。  
たとえ国母であるという圧倒的な清国内の政治的地位があったとしても、いかがわしい新興宗教団体と手を握り、暴徒を挑発して他国の公使館を攻めるなどという行為は、いかなる時代にあっても許されるべきことではない。

この事件を通して、我が国は国際社会での地位を大いに高めました。

明治35(1902)年、大英帝国イギリスは『栄光ある孤立』をやめ、我が国と対等な「日英同盟」を結びます。

これは画期的なことです。世界は驚愕した。

なぜなら、それまでどこの国とも軍事同盟を結ぶことを拒否してきた誇りある大英帝国が、有色人種の日本と対等な同盟を結んだのです。

東洋の貧乏国であった日本は、このときついに、世界の一等国と肩を並べることになったのです。

ところで、この義和団事件については「北京の55日」という有名な映画になっているのをご存知でしょうか。

北京の55日
北京の55日


この映画では、主演のチャールトン・ヘストンが、アメリカ軍将校として大活躍するのですが、実は、この主役の現実のモデルが柴五郎中佐です。

昔、「北京の55日」を観て感動した、あなた!
チャールトン・ヘストンの大活躍は、日本人がモデルなのですぞ!(笑)

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55 Days At Peking" Movie 1963 ending


日本の心を伝える会 日心会
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コメント
制空権は日本軍に。
 日中戦争での空戦はゼロ戦が投入されたことでもはや終了。終戦に到るまで中国の空には日本軍の航空機しかありませんよ。確かにそれでも撃墜されています。これらは全て対空砲火で、ドイツやアメリカの対空機関砲は極めて性能が良かったから、こればかりは仕方が無いことでしょう、爆弾を投下して目標に当てるためには低空でしかも低速でなければ無理なんだから。 そこを狙われるのは当然です。   ベトナム戦争当時でもアメリカの戦闘機がべトコンのライフルで撃墜されていることでも明らかです。
 後にスマート爆弾が開発されたことで何度爆撃しても落とせなかった橋をただの一発で落下させた。
これでソニーの評価が上がったとか。 なぜなら爆弾の先端部にソニーのビデオカメラがあってパイロットは映像を見ながらハンドルを操作した、つまりテレビゲームそのものを実戦で使用した最初なんですな。
 ゼロ戦の性能がアメリカに知られたのはアリューシャン列島に不時着したゼロ戦を回収して徹底的に調べたからといわれています。  アメリカ軍はその後ゼロ戦をはるかに上回る性能の戦闘機を投入していますが、それでも巴戦だけは絶対にしてはならないと通達を出しています。小型で軽量、燃費がよくてその上重装備。なにやら現在の車とそっくりですな。
 日本軍装備、特に鉄砲や機関銃には致命的な欠陥があったのですが、終戦に到るまで決して直されることがなかったのは残念です。  これはあの撃墜王の坂井三郎も証言してますからほぼ間違いないでしょう。  精神力だけでは戦争に勝てないんです。
2009/10/21(水) 19:27 | URL | 手取川 #-[ 編集]
バグパイプ
カナダに住んで、5年になりますが、バグパイプのパレードの大小のパレードはよく見ます。
アイリッシュが多いですが、スコティシュもあり、自分の国の歴史が主張され、維持しています。
やはり日本人にも通じるなつかしささえわいてきてしまいます。

人間は歴史の積み重ねで、愛顧国心が、培われていくものだと感じます。
スコットランドの友人に近くの公園でのバグパイプのパレードにも誘われましたが、カナダ人の彼女(スコットランドの親)にしたら、誇りあることであるのが、すごく伝わってきます。
日本人と共通するところがあり、自慢しないし、謙虚でやさしいところです。

共産主義は否定してきた永い歴史がそうさせたのです。
政治と教育で国民は簡単に変わってしまうことがよくわかります。それが一番大事なことなのだと思います。
2009/09/28(月) 10:53 | URL | にゃんきち #uXJmUt1I[ 編集]
ブログ記事と投稿を拝読しました
手取川さん、貴重な情報有り難うございます。
2009/09/28(月) 07:40 | URL | 縄文人 #wM6nolEE[ 編集]
No title
なるほどなるほど、いつも拝見しております。
2009/09/27(日) 18:57 | URL | 自己破産 #-[ 編集]
手取川様  フラインタイガー
手取川さん
>日本軍はゼロせんを投入して完璧なまでに叩き潰したんですよね。<

それが真実であって欲しかったけど残念ながら、事実はゼロ戦の被害はかなり大のようです。

国民党は日頃、ゼロ戦の様子をスパイしていて「フラインタイガー」は、到着後その資料を元に容易く撃墜できた。

フラインタイガー259名。実は米国防省の承認の下に、全米各基地から集められた、正規のエリート空軍でした。

フラインタイガー生存者が、史実を認めるよう請願。1991/07/08 国防省承認 秘密文書公開

日本が、日米開戦を回避するために必死で模作して日米交渉をワシントンで行っている時、対日参戦は始まっていた。 罠にかけられたと、いうことです。

ついでに、イギリスは海戦は得意ですが、陸戦は苦手です。目の上のタンコブであるロシア(大陸)の陸戦には勝ち目がないのは承知であり成功した例がなかった。
当然ですが、英国の国益がからんでの日英同盟です。
2009/09/27(日) 14:58 | URL | #-[ 編集]
焚書控除
日本文化を消し去るために、戦後、図書館からGHQに没収された書籍の一覧表です。 しかし、日本人は読書家であったことを知らなかったのでしょう。 多くの書籍が各家庭にあることまでは知りませんでした。 

『GHQに没収された本』占領史研究会編著(サワズ出版)¥7,143
 4-87902-023-0
2009/09/27(日) 00:05 | URL | TEXAS #-[ 編集]
支那人の略奪
>このため事件後も、北京に住む中国人の一般市民は、日本軍を「義軍」として讃え、
>競って日本軍の占領下に入ってきたといいます。

その当時の支那人を理解する上で参考になりそうな本に「敗走千里」があります。この本は、GHQに「焚書」された本、つまり、GHQが占領後民主主義日本人が知るにはふさわしくないと判断した本ということです。ちなみに、GHQの焚書本の選定には東大がかかわっていたことがわかっています。

それで、この義和団の乱は1900年ごろ起こった事件ですが、その37年後、1937年には支那事変が起こりました。時代は、義和団の乱よりは下りますが、その当時の支那軍の様子が、このように記されています。ブログ主様の書かれた日本軍の振る舞いを理解し、さらにこれを見ると、今回のお題の義和団の乱や日本軍の南京攻略後についても、日本軍の支配下に自らの意思で流入してくるのも当然のように思えます。

GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid711.html
> この戦争の初め頃は、誰も今程この斥候に出るのを厭やがりはしなかつた。
>...
>二時間程して、意氣揚々と帰つて來た彼等を見て、
>新兵たちは初めて、彼等が何故にあの危険極まる斥候を志願するかが解つた。
>彼等は実に夥(おびただ)しい種々雑多な戰利品をぶら下げてゐるのである。
>主に、時計とか指輪、耳飾り……と云つたやうな、小さくて金目のものだが、
>中には、重い程そのポケツトを銀貨でふくらまして來るものがある。
>...
> 或る一人の兵が持つてゐた耳飾りの如き、現に、たつた今まで或る女の耳に
>ぶら下つてゐたものを無理に引きちぎつて來たからだらう、血痕が滲んでさへゐた。
>...
> 陳子明は凡(すべ)てを見た。そして、聞いた。
>彼は、これだけで戰爭なるもの、更に軍隊なるものゝ本質を殘らず把握したやうに思つた。
>戰爭なるものが一つの掠奪(りゃくだつ)商賣であり、
>軍隊なるものはその最もよく訓練された匪賊(ひぞく)であるといふことである。
(他にも便衣の話なんかも出ています)
2009/09/26(土) 23:26 | URL | aaaa #-[ 編集]
なぜ、教えない?
今生きていらっしゃったら100歳以上になる方が85歳ごろのこと「どうして日露戦争のことを、教えないのだ?」と、しきりに尋ねられました。
「自分たちの若いころには、血沸き肉躍る物語だった!」と。

私がまだ、小学校に上がる前には、父の子供のころの絵本がありました。昭和20年代です。
そこには「肉弾三勇士」の物語が子供向け絵本になっていました。(敵の鉄条門を破るために爆弾を身にまとって突撃し自爆した。)それは、暗い絵でこどもには恐ろしい物語でした。

10年以上前に出会った小学校の校長先生は「父親が、決死の突撃をした人で、新聞にも載ったので”軍神”のこどもとみんなから讃えられた」と話して下さいました。日教組とは真反対の骨のある教師でした。

かつては、日本の素晴らしさをたたえる物語の大半は戦争物語だったのではないでしょうか?

そのことを考えると、日本の心をつたえるための戦争の見直しにせよ、それが「国盗り賛美、虐殺賛美、破壊賛美」にならない配慮が必要ですね。

これは、案外むすかしい問題です。
現在、自虐的に教えられてきたことの「真相はこうだ」という伝え方が、これを解決するかもしれませんね。
2009/09/26(土) 21:47 | URL | かぐやひめ #qcX4.Kko[ 編集]
No title
柴五郎中佐 義和団の乱の記事を載せて頂き、感謝。
たとえ100人でもこの記事で、柴中佐や当時の日本人の姿を知ってくれたら、大変嬉しいことです。

この後の軍人も、柴中佐と同じ立場にあったら、同じ行動をしました。この様な立派な軍人=日本人がいたら困るのは、中国、朝鮮です。

彼等と、彼等の国を尊しと思う日本人は、日本の敗戦を丁度良い機会として、戦前日本人の素晴らしさの歴史を、消し去ろう、忘れさせようとして、成功しつつあります。

それに気付かない日本人が余りに多くて、現在の日本国
が出来てしまいました。早く国民が眼を覚ますように、このブログで、常時この様な記事を続けてくれる事をお願いします。
2009/09/26(土) 20:57 | URL | 名無しさん #1cTaMrfk[ 編集]
No title
 「柴五郎氏」の事は渡部昇一氏の確か「日本人の底力」で知りました。日英同盟成立の陰の功労者ということで。
 それにしてもここのねずきちさんブログで紹介される日本人は
ホントニ誇れる日本人なのに、現在の政治家、官僚、公務員
同じ日本人?と、信じられませんね。この体たらくにGHQが日本人の精神の「核」を戦後教育から省いた、その成果という事を
、日本人の取り返しのつかない過ちとして認識せざるを得ない。
 今度の民主党政権では・・x△xx・・*・・言わずもがなですものね。
2009/09/26(土) 20:34 | URL | 日高よし子 #-[ 編集]
テロリスト与党民主党
初めての投稿で恐縮です。外国人参政権を国民の知らぬ間に成立を謀っている、まさにマニフェスト詐欺の確信犯です。国民の税金で養われた犯罪集団です。例の八ッ場ダムの件、地元に抗議電話等で圧力をかけているのは、民主党指示による民団の連中だそうです。奴ら「カス」ですね。外国人参政権なんぞ、狂気の沙汰です。これではテロリストが政権を掌握しているのと同じ状況です。彼らを絶対、潰さなくてはなりません。
2009/09/26(土) 18:13 | URL | 初投稿者 #-[ 編集]
国民軍と八路軍
縄文人さんへ
日中戦争当時の国民軍の装備の大半はドイツから購入しています、資金はアメリカですが。
私の町にも当時の生き残りの元兵士がおられます、高齢なのに少しもボケて無い、正座をして語ってくれました。
国民軍の一般の兵士は前に書いたとおりですが、将校はドイツ軍もびっくりするほど、制服が似ていたとか、それもそのはず、ドイツ軍の多くの将校が軍事顧問団として蒋介石に随行している映像があります。
 戦争になる前は国民軍の訓練はなんと日本軍の将校が担当してたんです。
 元兵士の方は言いました、国民軍の兵士など、どれだけいてもカスに等しいがその武器はあなどれないと。
特にチェコ製の機関銃が何より怖かったと。
 当時日本とドイツは三国同盟の間柄でしたが、ヒトラーは商売は別のもの、それが日本の敵であろうとドイツの利益になるのであればと多いに奨励したといわれております。国民軍の将校のヘルメットは正にナチのそれと同じで
 理由が分かると、なるほどザワールド〔かなり古い〕
国民軍には空軍もありました。ご存知ですか?飛行機は全てアメリカ製、パイロットもアメリカ人。そして全員ボランティアだそうで、〔フライングタイガー〕と呼ばれていました。
アメリカ政府は知らぬ、存ぜぬで通したそうですが日本軍がゼロ戦を投入して完膚なきまでに叩き潰したんですね、ところがアメリカ政府はそれを信じなかった。
マッカーサーですらフィリピンへ爆撃した日本軍の航空機の基地が近くにあるはずだと近くの島々をしらみつぶしに調べたが何処にも無い。やがて台湾から飛んできたことが分かるに及んで認識を新たにしたといわれています。
 いずれにせよ、これらの武器は国民軍の兵士には宝の持ち腐れ、性能的には劣る武器の日本軍が連戦連勝したもの訓練の賜物、乞食は何を持とうが所詮乞食にすぎないのです。 終戦で中国から日本軍の兵士がすんなり帰国出来たのも一刻も早く日本軍に出て行って欲しかったから。
 ベトナムの民族解放戦線の創立と指導をしたのはインドネシアと同様に元日本兵達です。
ベトナムのサイゴンやハノイの市中を行進する日本兵がかっこいい、自分達もああいう軍隊を持ちたいものだと言ったのは他ならぬ若きホーチミンでした、終戦まもなく元宗主国のフランス軍がやってきますが、これに対抗したのがベトミン、フランスが撤退後やってきたのがアメリカ軍これに対抗したのがべトコン。1975年にアメリカはベトナムから撤退しますから日本が戦争に負けてから30年も戦い続けたベトナム人は偉いの一言。それに比べて国民軍も八路軍もカス。 
日本は確かに先の大戦に負けたが、勝ったはずの欧米諸国は全ての植民地を手放すことになった。        アジアの国々の独立が中近東に及び、アフリカまで。
あるアフリカの政治家は言った。〔なぜ日本はもう少し長く戦争が出来なかったのか? そうすれば自分達も、もっと早く独立出来たのに〕と。
2009/09/26(土) 17:55 | URL | 手取川 #-[ 編集]
混沌の中国
 「守城の人」懐かしいですね、20年くらい前に私が読もうと思ったら既に絶版、目黒区の守屋図書館で見つけた時は嬉しかったのですが、広辞苑のような厚さのうえ保存状態も悪かったので、読むのに苦労しました。
 「北京55日」が義和団事件とは知りませんでした。機会があったら鑑賞したいと思います。

 アヘン戦争の映画で清軍の前列に、顔に装飾をした女性が弾避けのように立並び、真っ先に英仏軍に殺されるシーンがありました。また、5、6年前にNHKで放送され聖徳太子のドラマでも物部氏との内戦で似たシーンがあり、気になっていたらアフタヌーンで連載していた漫画「女禍-JOKER-」(大西巷一)を読んで、敵を呪殺する目的と分かりやっと腑に落ちました。
 しかし、満蒙八旗軍も清末にはすっかり漢化されて、戦争方法を忘れてしまったんですね。(闘う相手も無知蒙昧な漢族なので
三国志時代の巫術や呪術で十分だったのか?)
 そういえば、義和団も呪術的な宗教でしたね。

 存外に中国を崩壊に導くのは、民主主義や近代合理主義ではなく、理不尽に不条理を重ねる反近代思想かもしれません。
 日本でもCO2削減25%を主張する、セクトにはまった神輿を担いでいる手前、大きなことは言えませんが、黒鳩にはオカルトのバラエティー番組に出演して貰うのが一番、世界平和に貢献しそうです。(→ダメ押しに桜チャンネルで「日本の超能力兵器」を特集して(国内放送は不要)中国に動画配信してあげれば、民衆は新宗教を立ち上げ、軍は新しいメシの種に飛びつくことでしょう。
2009/09/26(土) 17:35 | URL | ジャギ様 #-[ 編集]
我々の使命
此の義和団の乱の鎮圧に当たった多国籍軍は、八カ国で構成されていました。
日、露、英、米、仏、独、墺、伊の8カ国です。敵は大清帝国及び義和拳を使う集団。
墺はオーストリア・ハンガリー帝国です。

此の9カ国を見て何か気付きませんか。
オーストリー・ハンガリー帝国は第一次大戦で滅び、清は共産中国となり、日本、ロシア、ドイツは帝国でなくなり、イタリアは王国ではなくなっていますが、日独伊の敗戦3カ国と、国連のパーマネント・ファイブの国です。

更に言えば、露と中を除いた6カ国は、F-1に、車体やエンジンやタイヤを供給している国です。つまりハイテク先進国です。
100年以上前なのに、何も変わっていない。

此の地位を、100年後にも保っていく事が、我々に課せられた使命だと思います。
2009/09/26(土) 12:34 | URL | 八目山人 #4lXsiBFM[ 編集]
やっぱり日本人って素敵だぜぃ!
>しかも彼らは沈鬱な表情一つ見せず、むしろおどけて、周囲の空気を明るくしようとつとめた。日本兵には日本婦人がまめまめしく看護にあたっていたが、その一角はいつもなごやかで、ときに笑い声さえ聞こえた」
こんな激しい戦いのなかで、こんな場面がありえるのですね。私もすっかり日本兵のファンになりました。
男らしい男、女らしい女、「日本の心」ですね。
2009/09/26(土) 11:15 | URL | まつ星 #-[ 編集]
No title
反日ワクチン http://vaccine.sblo.jp/ をご存知ですか?
暫く更新はありませんが、今回の話も含む良い話が載っていますよ。
2009/09/26(土) 10:17 | URL | dai #2zUEu7Eg[ 編集]
柴五郎
村上兵衛氏の書かれた「守城の人」を読んだことがあります。親父が残してくれた一冊です。

柴五郎は賊軍出身と言う事で、出世は遅かったと思いますが、大東亜戦争の敗戦を聞いて自決を図ります。しかし当時85歳と高齢だったため失敗します。しかしその怪我が元で3ヶ月後に亡くなりました。

決して、陸軍の中で陽のあたる道を歩んだわけではありませんが、彼らしく大日本帝国に殉じたのだと思います。

5年ぐらい前ですか、NHKで柴五郎を主人公にしたドラマをやっていましたが、なんかよく分からないものでした。
2009/09/26(土) 10:09 | URL | 八目山人 #4lXsiBFM[ 編集]
日本人てすばらしい
義和団事件の時の日本人の活躍はすばらしいです。

ブログをを読み終えて爽快な気分になりました。

日英同盟にも影響をあたえているとは驚きです。

日本兵のように勇敢・明朗・知的・大胆に、今の日本の

危機に対処しなくてはいけないのでしょう。

楽しいブログ記事を書いていただいてありがとうございま

す。

2009/09/26(土) 10:06 | URL | せんちゃんGOGO #-[ 編集]
No title
長妻厚労相「党職員を公務員に」…省内説明同席問題

長妻厚生労働相は25日の閣議後の記者会見で、省内の担当部局から説明を聞く際に守秘義務のない民主党政策調査会の職員を同席させている問題について、「閣僚の権限で、プロジェクトチーム的なところで任命し、守秘義務もかかるような非常勤国家公務員として働いていただくような手法を考えていきたい」と述べ、職員を近く非常勤職員などに就ける考えを示した

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090925-OYT1T01086.htm

党員を行政機関に送り込んだのはナチスです
防衛、法務、外務、財務、の各閣僚が同じことを言い始める気がします...

民主党の党員資格には国籍条項がありません
つまり朝鮮人工作員を公務員として雇えと...

※公務員ではない裁判員にだって守秘義務がある
2009/09/26(土) 10:04 | URL | tamago #-[ 編集]
授業
授業の項目にも成っていました。眼を輝かせて聞いたものです。今の子供たちもこんな話を聞かせるべきですね。
国会議員もこんなことも知らないのでしょう、情けない国に成りました。
2009/09/26(土) 09:56 | URL | #kU3g/2a6[ 編集]
No title
>昔、「北京の55日」を観て感動した、あなた!
>?チャールトン・ヘストンの大活躍は、日本人がモデルなのですぞ!(笑)


これは、、、うちの母ですww

しかし、素晴らしいです。これ、教科書に載せて欲しいです。本にして、夏休みに子供に読ませるとか、


あの時代に日本が、あの傲慢な?イギリスと同盟、、どうしてだろうと思ってはいたのですが、こういう理由だったのですね、良く分かりました。

目の前で、こんな勇敢で有能な姿を見せられては、ファンというか、同盟を結びたくなるでしょう。


最近、日本刀の番組を見ました、欧米制作の番組です。

本物の刀で練習をしている風景、日本兵の練習風景、、白黒ですが、時々写りました。
その日本人の表情,動き、、、全てがとても鋭いので驚きました。
大男でもなく、筋肉粒々でもないのに、、、なぜかどの人もまだ学生のような少年も、迫力がある。引き締まっている。


きっとイギリス人らが見た日本軍は、こういう人達だったのでしょう、真面目で勇気があって、しかも有能な日本軍人。

沖縄シュガーローフの戦い。アメリカ兵は報告書には

『日本兵はとてもよく訓練され、統制もとられた陸軍兵士で、特に、士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである』

とあります。日本軍はつねに頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に投降しなかった、と、、、


自分はあの白黒映像の日本人を見て、戦前の日本の教育は正しかったのだと思います。
男女共に身体は当時の人と比べ、大きくなっているのに、表情は?身体能力は?、、、

戦前の教育を復活させたら、、、日本はすごい国になりそうですね。やるべきです。
2009/09/26(土) 09:26 | URL |  M&M #cjNia0dU[ 編集]
乞食でも勝てる場合があるのですよ
素晴らしいお話を有り難うございました。
義和団事件を含めて、真の日中交渉史は現在では解らなくなっているのが実情なのかもしれません。
しかし、もしかしてこの傾向は日中戦争当時からあったのではないかと思うのです。
例えば義和団事件を詳細に調べれば、中国兵が突然敵に回ったことがすぐ解るはずです。しかも、本当に清国政府の命令であったのか疑わしいところもあります。

この義和団事件を含めた日中の歴史を日本人が本当によく知っていれば、通州事件は起きなかったとは言えないだろうか。日本の根本的な誤りは、中国人を自警団の中核に据えたことではないか。もしかしてポッポ的思考の高級将校が関東軍にもいたか、あるいはスパイであったのかもしれません。そこのところを毛沢東にうまく利用されたのが、通州事件だと思います。

>手取川さま
>国民軍の兵士がこれなんだから、八路軍などは想像もできないほどの乞食の群れか?

確かに彼らは野蛮人であり、乞食のような身なりであったかもしれませんが、国民党軍兵士は、アメリカ製の自動小銃をもち、アメリカ製のトラックに乗り、アメリカ製の爆撃機まで持っていたのですよ。
弾薬は日本軍より豊富に持っていました。もちろん、日本軍は連戦連勝でしたけど。アメリカ軍も、ベトナム、アフガニスタンで連戦連勝なんですよ。
このことを知っていないから、サイゴン陥落のとき、北ベトナム軍が戦車隊を先頭に入城したのを見てびっくりしてしまうのです。
ついでに言えば、タリバン軍は戦車隊でカブールに入城してきますよ、近いうちに。
2009/09/26(土) 08:57 | URL | 縄文人 #wM6nolEE[ 編集]
映画の嘘と乞食の群れ。
北京の55日、昔見ました。DVD も持っていますし、時々見ますが、実際アメリカは中国に権益がほとんどなくこの篭城戦でも活躍してない。 それがなぜか?アメリカ兵が大活躍、ハリウッドの映画だから仕方が無いのかもしれないけど。あまりにも見え透いた嘘なのには驚きを隠せません。
当時、会津藩出身の方々は将軍にはなれなかったはずです。 四国のドイツ軍兵士の捕虜収容所の所長も確か会津出身だったと記憶してますが。
勇敢で、聡明、そして人情にあふれる明治の武人達。
日中戦争当事の南京事件などそもそも起こるばずがなかろうが。 
私の父も生前よく話してくれました。捕虜になった中国の将校はともかく、一般の兵士は乞食もびっくりのありさまだそうで、風呂に入らないから、臭い、制服なども着たきりスズメでぼろぼろ、背中に鍋、釜、破れ傘、靴などもなく草履などで、その上無学,文盲。こんなのばかりでは何人捕虜になろうがなんの価値も無いと吐き捨ててましたね。
 国民軍の兵士がこれなんだから、八路軍などは想像もできないほどの乞食の群れか?、勝てるわけがなかろうが。 その中国が日本軍に勝ったと称するのはふざけも過ぎよう。 一体何処をどうすれば勝てたのか教えてほしいものです。
2009/09/26(土) 05:41 | URL | 手取川 #-[ 編集]
No title
伊丹一三/当時が、柴役でした。 アメリカ映画ですので、ヘストンと米兵が大活躍です。
役者の皆さん、故人になってしまいました。
2009/09/26(土) 02:55 | URL | TEXAS #-[ 編集]
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【ねずきちのひとりごと】義和団事件をふり返る

 明治時代、日本は「日英同盟」を結んでいる。「栄光ある孤立」政策を掲げていたイギリスが、極東の非白人小国の日本との同盟を決めた。その経緯には義和団事件での日本への信頼がある。その時、日本軍を率いたのが、コロネル・シバとして知られる、柴五郎中佐だ。  要?...

日本の心を伝えよう

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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
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