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日本は「たみ」が「おほみたから」とされる天皇のシラス(知らす、Shirasu)国です。


日本軍の蛮行といわれる事件

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スマトラ島
スマトラ島


日心会MLで紹介された話からの転載です。

~~~~~~~~~~
スマトラ島南東部のパレンバン市の南西部バリサン山脈の山すそに、デビンティンギ市があります。

この市には終戦の年の日本とインドネシアの衝突事件の記念塔が立っています。
この記念日の特集としてインドネシアタイムス(英字新聞)が、1976年春次のような記事を載せました。

-------------------------
終戦の年の12月13日、テビンティンギ市で女子供を含めた数千人のインドネシア人が虐殺された。
殺したのはイギリス軍でもない。オランダ人でもない。日本軍だ。
理由もなく突然多数の戦車を先頭に立てて乱入して殺戮した。
-------------------------

この記事に対して、当時近衛師団渉外部のインドネシア係としてこの事件の収拾に当たった当時者である総山孝雄さんが、

「一部終始を詳細に知っているが、これはまったくの虚報である」ということで、反論をしていきます。

また同時のこの報道にはインドネシア側の歴史家も疑問を提示します。

独立戦争の勇士で、戦後スマトラのメダン地区独立戦老兵会の会長であり、独立戦史を研究していたニップカムリ氏です。

それで、このインドネシアタイムスで、この報道をした責任者である編集者ユヌマ氏も参加して、このデビンティンギ事件の真相を究明する作業がすすめられてきました。

その結果、その真相が次の書物に記されています。

~~~~~~~~~~
北スマトラ州戦史編集検討会編
「北スマトラにおけるインドネシア独立戦史」
~~~~~~~~~~

この本の中のB3項に、この事件の経過が詳しく述べられています。

これが大変に長い文なわけで、全文掲げるわけにはいかず、私が勝手に以下要約します。

-----------------------

インドネシアでは戦後独立を宣言し、スマトラ島でもメダンにおいて独立が宣言がされた。

しかしもともとインドネシアを植民地支配していたオランダ軍と、これを支援するイギリス軍が迫ってきた。

インドネシア共和国軍やインドネシア青年党は、それらと戦うために武器を必要としていた。

そこで降伏した日本軍の持っている武器をぜひ手に入れたいと考えていた。


こうした情勢下で、昭和20(1945)年12月13日にテビンティンギ事件が発生した。


その月のはじめ、英軍司令官の命により、中島司政長官、メダン市長、北スマトラ宗務部長、鉄道部長と薄金文化部長等、家族同伴の一行と、護衛の日本兵、あわせて40名が、列車に乗ってキサラン近くの農園に向かっいます。

テビンティンギのプシンド(都市地域武装社会主義青年党の略称)の指導者は、テビンティンギ駅でその汽車を止めて武器を奪う計画を立てます。

12月11日、到着した汽車を、武装した青年たちが包囲した。

武器を渡すように要求したが、日本の指揮官はこれを拒否する。当然です。

両社は、長い時間対峙する。

しかし日本側には、婦女子もいます。
やむなく中島長官は、15時に降伏し、15時30分すべての武器がプシンド側に引き渡された。

このときプシンドの青年たちは、日本の将校4人を人質としたのだけれど、そのうちのひとり、深尾大尉を殺してしまった。


同じ日の日の夕方、宮川中尉によって警備されていたグヌンパメラの食料倉庫が、青年たちに取り囲まれます。

彼らは見知らぬ他所者に指導されていた。

青年たちが迫ってくるので、宮川中尉はバヒランの連隊長に電話して、暴徒に対する射撃の許可を要請します。

電話で沢村少将は、
「話せば判る。われわれの兄弟であるインドネシア人を殺してはならん。話し合いで解決せよ」と答えた。

この二人の会話がまだ終わらないうちに、青年たちは電話線を切断してしまいます。

宮川中尉は部下に、武器を下に置くように命令した。

青年たちは、日本兵から武器を取り上げると、蛮刀と槍で、一斉に宮川隊に襲いかかり、宮川中尉以外の日本人をすべて殺してしまいます。
(宮川中尉は頭をたたきわられたが、瀕死の状態で倒れていたところを翌朝、農民に助けられた。)


翌、12月12日午前9時、前の日に列車阻止での指導していたアミルタアトナスティオン(テビンティンギのプシンドの長)は、ほかの指導者とともに、バラヒンの沢村少将に会いに来ます。

アミルタアトティオンは
「所有する武器全部を渡して貰いたい。さもないと2千人のインドネシアの青年たちは、このバラックを攻撃し、皆殺しにします」

沢村少将の部下中村副官は、この申し出を拒否すると、昨日のテビンティンギ駅での彼らの略奪・暴行に抗議し、その列車の深尾大尉ら40名がどうなったかを尋ねます。

アミルタアトは、もう殺してしまっているのだから答えようがない。


ここで日本軍もテビンティンギの様子を探ります。

すると、昨夜グヌンパメラの食料倉庫で、日本人16名が殺害されたている。

さらに町の日本人全てが殺されたという噂も得た。


無線は通じず、電話線も切られている。


第三大隊の妹尾孝泰少佐は、連帯本部になにか異変がおきたのではと心配し、全兵士を非常呼集して、連帯本部まで20キロを駆け抜けます。

12月13日朝、彼らは連帯本部に息を切らして到着した。


沢村少将は、自らの命令に従ったために抵抗することもできずに殺されて行った部下のことを思い、今この報復を行わないと、無限に日本人が殺戮されていくことを憂慮します。

沢村少将は、妹尾少佐に、テビンティンギのプシンドに対し、報復攻撃準備を命じ、同時に、攻撃許可を仰ぐため、師団長に無線電報を打ちます。

驚いた師団では、攻撃をやめさせるために先任参謀の室本中佐を急いで派遣する。


到着した室本中佐が現地の調査の結果は、沢村少将の報告の通りです。
そして室本中佐の報告を受け、師団は、報復攻撃を許可した。


13日午後2時、数個の小部隊を町から出る4つの出口に派遣。

歩兵1個大隊が前面に2台、背後に1台の戦車を伴って、南の方向から町の中に進撃した。
このとき大隊には大砲もあったのだけれど、一般市民が犠牲になるのを畏れて使用しなかった。

攻撃はこのように用心深く行われたが、やはり錯誤による犠牲は避けられなかった。

日本軍は果敢に攻撃し、至るところで女子供までが犠牲になった。

(・・・これは、あくまでインドネシア側の記録です。
 「至るところで女子供まで」というのは「事実ではない」と総山氏は言っています。)

整然と行われる日本軍の正規攻撃の前に、プシンドは簡単に敗北します。

しかも過激な指導をした者は、ジャワから来た煽動者(スパイ)だった。
そのことを市民から伝えられれ、自分たちが騙され、利用されただけと知ったプシンドは、一斉に町から逃げ出してしまった。


しかし、一部の青年たちがテビンティンギに戻り、日本軍から街を奪回しようと戦った。
戦いは17日まで続き、多くのインドネシア青年が亡くなった。


12月14日、日本軍渉外部の総山孝雄は、インドネシアの総督代理マハラジャソアンクポンと会い、事態の収拾を協議します。

そして、この不幸な事件で利益を得るのは、オランダのみだということで意見の一致を見た。

ふたりは、事件をすぐ終わらせるために、全党派の会合の必要であると申し合わせ、
インドネシア政府代表
諸党派の代表
日本軍の代表(総山孝雄)が、事態収拾のためにテビンティンギへ赴きます。

だが、日本軍の沢村少将は、彼の無抵抗命令を忠実に守って殺されていった部下に対してプシンドがやった残忍な処置を許せない。

インドネシアの政府代表者も、諸党派の代表も、沢村に何も言うことができません。

あきらかに非は、プシンドの青年たちにあり、沢村の主張が正当であるからです。

総山は、夜半単独で、沢村と会い説得します。

「閣下、報復しなければならい理由がある事を、私は判っています。
日本の兵士に対する殺戮を憎むことは私も閣下と同じです。

しかしながら、もし閣下がこの報復を続けて独立運動を妨げるなら、インドネシア国民はこの事件が起こった本当の理由を自国民には報道しないで、閣下が一方的に残酷な殺戮を行ったという報道を流すでありましょう。

そうなったら、彼らはいつまでもわれわれ日本人を、恨むことになります。

わが民族の悠久の大義に基づいて今後の永い友好関係のために、閣下の怒りを静めて下さい。

インドネシア青年たちがこれ以上日本人を殺さなければ、日本軍は報復を止めるという事を布告してください。

われわれは心の中ではインドネシアを愛し続けているけれど、敗戦により軍事行動を禁じられている我々は、公然と独立を助ける事はできない。

我々はインドネシアの独立を助けたいのが、必死に我慢しているのだという事を告げて下さい。

我々は、インドネシア人がこれ以上日本人を殺さない限り、インドネシア人を攻撃したり、インドネシアの独立を妨げる事は決してない事を、布告してください・・・」


総山の必死の説得に、沢村少将は、納得します。

12月17日、東スマトラ代表の命令として、トンクハファスはテビンティンギの青年党に戦闘の停止を命令した。


以上見たとおり、この事件は、インドネシア青年の度を越えた革命精神により起こったものです。

その結果、インドネシア共和国の大切な国民保安隊や青年党までも大打撃を受けた。

革命精神の性急さのために、却って革命が打撃を受けてしまった事件でもあります。

大戦に敗れ降伏した後にも、日本軍はインドネシアの独立戦争に同情していた。

にも拘わらず、インドネシアの青年の一部により残酷な方法で仲間が殺されることには、我慢はできない。しかも一方的な虐殺です。


メダンの共和国の指導者たちは、当初この事件をそれほど重大視していなかったといいます。

しかし12月18日になって、その全容が判ると、大きなショックを受けてしまった。

共和国政府は、政府の同意を求める事なく、勝手に行動した共和国の青年たちを非難しています。

また東スマトラインドネシア国営通信社は、テビンティンギの青年たちは、強盗の刑事犯であるとして、以下の声明をだしている。

「日本軍はインドネシア人の敵ではないから、事件が起ってもインドネシア人との争いの激化を望まないという事を、われわれは確信せねばならない。

この日本によって与えられた好意を勝手な行動で裏切らないように、東スマトラの全インドネシア人は肝に銘しなければならない。」



なるほど、冒頭に記したように、
「数千人のインドネシア人が、日本軍によって殺された」
「多数の戦車を先頭に立てて乱入した」

これは「事実」です。

しかし、それにはキチンとした理由があった。

そして日本軍は、その都度、きちんと中央に許可を求めて意思決定を仰いで行動している。
終戦後なお、日本軍は、軍規をきちんと守りぬいていたのです。

この事件で、日本軍が何の理由もなく、攻撃したのではないことは、現代のインドネシアが公式に認めていることです。

世界でもっとも軍規に厳しかった日本軍は、どこまでも真正直でどこまでもきちんとした武軍隊だった。

そんな軍隊は、世界中どこを探したってなかったのです。

帝国軍人を支那やロシア兵と一緒にするな!と思った方
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未帰還兵 スマトラ 2006年1月

下にある動画は、インドネシア歩兵5連隊伍長(当時)であった高須茂男さんです。
彼は、戦後もインドネシアに残り、インドネシア独立戦争に参加した。
当時高須さんと行動を共にした日本兵は1千名ほどいた。2006年1月時点で、残留している元日本兵は、8名。高須さんは、そのなかのひとりです。
インタビューに答えて、高須さんは血を吐くような言葉で、次のように話されています。

「日本は負けたんですよ。負けた国の兵隊が通常で帰れますか。」
「私は、中隊でひとりだけ、ここに残りました。」
「自分の国が負けたら、どうしますか? 死ぬか生きるかだけでしょ?」
「インドネシアに日本がはいってきたのはなんでかといったら、東洋平和のためにはいってきたんですよ。ところが日本が負けて、私たちは何になりますか。道は死ぬだけでしょ。」
「日本がどうして負けたのかと、私たちは信じていなかった。私はそのとき18歳だった。女も知らなかった。純情だった。それだけですよ」


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コメント
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2014/05/01(木) 03:07 | | #[ 編集]
No title
今日初めてここに来ましたが・・・
私も椿さんは工作員だと思います。
言葉の端々から悪意ある誘導を感じる。
2012/08/24(金) 19:21 | URL | 京子 #-[ 編集]
No title
>片方の西洋人は、遵守法精神を知っているけれど

>有色人種の日本人は侮り、偏見剥き出しで、決して公平に扱おうとしないし

なんかすごく悪意を感じるんですが、気のせいでしょうか?
しかもわざわざ目につきやすいよう青い字体を使ってまでの書き込み。
こいつ愛国者を騙った工作員じゃないんですか?
何気ない一文や一言でもって日本を貶めているように感じるんですよね。
まるで皇軍は遵法精神もなく、現地人を見下していたと受け取れますしね。

工作員は愛国者のふりをして近づいてきます。
そして内部から分断しようと画策し工作活動を行います。

今はまだ戦時中です。
情報戦という戦争の最中にいます。
管理人、是非気をつけてください。
2011/08/03(水) 05:50 | URL | #-[ 編集]
No title
ねずきちさん、はじめまして。
こちらのブログはどの記事も心を打つものばかりで、時間を見つけては過去のものを含めて読ませていただいております。ありがとうございます。

上の方のコメントの補足になるでしょうか。
僭越ながら貼らせて頂きます。

Japan On the Globe
国際派日本人養成講座
平成10年5月9日
地球史探訪
インドネシア国立英雄墓地に祀られた日本人たち
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog036.html

> 日本軍には、オランダ軍の目を盗んで、インドネシア側に協力する人々が現れた。中部ジャワ地区の馬淵逸雄少将は、廃兵器処理の許可を得るや、それを拡大解釈して、トラック何台分もの武器をチレボン河の河原に捨てた。対岸で待機していたインドネシア側がこれをごっそり手に入れた。

 こうしてインドネシア側に、小銃3万5千挺、戦車、装甲車、自動車など200台、中小口径砲など多数と、ジャワの日本陸軍の装備の半分以上が手渡された。[4,p289]

 自ら、軍籍を離脱して、インドネシア軍に身を投じた人々も多かった。その一人古閑正義中尉は、熊本県出身、明治大学で柔道とラグビーの名選手だった。スマトラのアチエ州で、地元の青年達を 「何が何でも独立を勝ち取れ」と教育していた。

 昭和天皇の終戦の詔勅の中の「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」という言葉から、インドネシア人を見捨てて、日本に帰る気持ちにはなれず、同じ部隊の少尉4名とともに、独立軍に参加した。戦闘に慣れないインドネシア人を率いて、常に先頭に立って、指揮をした。[2,p94]

2010/07/31(土) 02:55 | URL | なな #8VvAevLs[ 編集]
椿さん
オランダのインドネシア統治に関する詳細は以下をご覧ください。

http://www.tamanegiya.com/oranndatoinndonesia18.6.17.html

また、伝聞でしかなく、まだ確証がないのですが、

ある将校は、「武器が奪われたことにすればよい、しかしそれでは武器庫や弾薬庫を警備する部下兵士に責任が及んでしまうから、私の職務怠慢ということで現地人に武器弾薬を渡しなさい」と命令し、その後一身に罪を背負って戦犯として処刑されたとの話も聞いたことがあります。
2009/12/31(木) 00:36 | URL | 鷲 #esP1hUHM[ 編集]
【首相、外国人参政権法案に前向きな考え】
鳩山総理は民主党の川上義博参院議員と会談し、この中で「政権交代
した意義として、自民党ができなかった永住外国人の参政権の法案を
やるべき」と主張した川上氏に対して、「よく分かりました」と述べ、
前向きな考えを示しました。

【経済・政治の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj.cgi
【政治・経済タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

2009/12/30(水) 23:50 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
嗚呼大和
戦後の日本の実態まとめ動画。
反日勢力による歴史の捏造・GHQの占領政策によって、
日本人が大和魂を失ってしまった経緯。
高画質版となって再リリース。
<掲載日>2009.12.29

(1)http://www.youtube.com/watch?v=Wa0HBM0r918
(2)http://www.youtube.com/watch?v=TffdO361Cm0&feature=video_response
(3)http://www.youtube.com/watch?v=TIS5BncMf7I&feature=video_response
(4)http://www.youtube.com/watch?v=Vkn6w9EnnqM&feature=video_response
2009/12/30(水) 22:36 | URL | #-[ 編集]
ありがとうございます。

鷲さん、ありがとうございます。

>ところが立場が代わって、被占領地の国民にとっては、このような国際法での決まり事などは理解しにくいのでしょうね。<

確かに…、こういう遵法精神は、植民地にされていた現地人の人達には、理解し難かったと思います。
とにかく、『奴ら西洋人を追い出すこと!』それ以外に考えられなかったのかもしれません。

というのも、自分達がたとえ“倫理・道徳”をもって、彼ら西洋人に接しても、いつも無理無法な扱いをされ、搾取され続けてきたから、何事も信じられなくなっていたのかもしれません。なんとなく…そう思うようになってきました。

どちらにしても、ご先祖様も“板挟み”にあい、大変なご苦労をされたと思います。片方の西洋人は、遵守法精神を知っているけれど、有色人種の日本人は侮り、偏見剥き出しで、決して公平に扱おうとしないし、

もう一方のアジアの人達は、何百年にも渡る奴隷状態で、気概も勇気も責任も失ってしまっている…。そんな極端な両者の中で、よくも本当に頑張れたと思い、ますます頭が下がる思いでいっぱいです。




2009/12/30(水) 22:30 | URL | 椿 #-[ 編集]
No title
ビラまとめ 拡散希望 リンクフリー
http://aaarurururu.hp.infoseek.co.jp/

■外国人参政権反対等ビラ
■朝鮮人が日本にしたこと
■身近の民主党支持者に啓蒙活動をしてみたい方へ
初心者向けお笑いレベル
啓蒙レベル初級編
■在日韓国人の「外国人参政権」を急いで欲しがる理由について
■反日韓国人撃退マニュアル
彼らの『妄言』とそれへの『真実』による対処法
■在日が帰国・帰化しない理由 「在日特権」
■朝鮮進駐軍について
■在日コリアンについて
■韓国の評論家 金満哲の言葉
■在日 Q&A
■在日韓国人が参政権をほしがる理由
■アメリカ(GHQ)の愚民化政策3Sと在日の職業の共通点
■ある脱北者が分析した北朝鮮の人々の特徴
■朝鮮文化
■在日朝鮮人は悲劇の差別被害者を装った〝特権階級〟
2009/12/30(水) 20:37 | URL | #-[ 編集]
皇軍のすごさ
だいたい「お国のために戦った」のは、帝国軍人だけではなかったでしょうか?
私達は「兵隊さんはお国のために戦い、銃後は、それを支えるために戦う」ことを、当たり前だと思い、ほかの国も同じだと考えていましたが、全然違ったんですよね。

シナ軍の弱いのは、後ろから銃を突きつけられて、戦わなければ味方に殺されるから、戦ったそうじゃにですか。

ロシヤ兵も、ひどかったみたい。

軍規を守ったり、国際法を守るのは、当たり前ではなかったのですね。

なぜ、日本兵が強かったのか、わかりますね。
2009/12/30(水) 19:31 | URL | かぐやひめ #qcX4.Kko[ 編集]
椿さんへの答えになるかどうか?
終戦(降伏)により、軍隊というものは一切の敵対行動を止めなくてはならないことはご理解されておられると思います。

しかしながら、降伏相手の軍隊が進駐してくるまでの間の、占領地域における治安維持の責任は、その地の占領軍である日本軍にありました。

これは、韓国においても同じで、8月15日に一旦総督府に掲げられた「大極旗」は、連合軍から「日章旗」に換えるよう命令され、連合軍進駐までは日章旗が掲げられています。

ところが立場が代わって、被占領地の国民にとっては、このような国際法での決まり事などは理解しにくいのでしょうね。

韓国は、当時日本でしたから日章旗の掲揚を命令されましたが、インドネシア等では、連合軍の進駐を待たず、日章旗の掲揚は禁じられたと記憶しております。

当時の日本の占領政策を考えると、独立のための人材育成の段階であり、まだ組織作りにまで移行していない段階での降伏だったのが、このような悲劇の元になったのではないでしょうか。

2009/12/30(水) 11:25 | URL | 鷲 #esP1hUHM[ 編集]
No title
日本軍は英蘭に負けたのだから連合国に武器を渡さねばならない、勝手に独立運動軍にわたすわけにもいかないと思ったんでしょうか。降伏した日本軍に襲い掛かってくる暴徒たち?に素直に武器を渡すのもおかしい。 
日本人は真面目だから損をしますね。
2009/12/30(水) 11:11 | URL | 亮太 #.evZveS2[ 編集]
疑問点…。

>われわれは心の中ではインドネシアを愛し続けているけれど、敗戦により軍事行動を禁じられている我々は、公然と独立を助ける事はできない。我々はインドネシアの独立を助けたいのが、必死に我慢しているのだという事を告げて下さい。<

このお話を読んでいて、本当に不思議なのが…、何故もっと早くに、“この言葉”をインドネシア人に伝えてあげなかったのでしょうか?

かって、山田純大主演の『ムルデカ(独立)』というDVDを見たことがあるのですが、その時も同じような疑問が沸き起こりました。

確かに天皇陛下の命により、皇軍は『武装解除』をし、英・蘭軍へ全ての武器を引き渡しました。

その時に、インドネシア独立軍の青年達から、“武器を渡してくれ!”と懇願されますが、断固としてそれを拒否するのです

拒否する理屈は分かるような気がします。多分、“混乱や惨劇”を危惧しての判断ではなかったのか?と想像いたします。

しかし・・・、何故、総山氏のように、“その真意”をキチンと相手に伝えられなかったのか?私は、非常に疑問を感じて仕方が無いのです。

『今まで味方として戦ってくれた皇軍が、敗戦となった途端に、かっての支配者英・蘭軍に武器を全部渡してしまう。何故なのか?』

『インドネシアの独立の為に一緒に戦ってくれたのに、何故、私達に武器を与えてくれないのか

何故、私達を“丸腰のまま”、敵の砲弾の中に放りだすのか?、皇軍は敵側に寝返ったのか?!』と思い、相手が“疑心暗鬼”なるのは、無理からぬことではないでしょうか?

『語らずとも相手は“自分の真意”を理解してくれている』と信じていたのでしょうか? でも…いくら同じアジア人同志でも、やはり、少し無理があるように思われるのですが…どうなんでしょうか?

歴史にもしもはないですが、もし…、最初にインドネシア人に、日本人の“心情”と“現状”を伝えていれば、多くの無辜の日本人が殺されずに済んだようにも思うのです。

ですが…、やはり『アジア独立解放』の為に、正々堂々と勇猛果敢に戦って下さった多くの英霊方には、“深い尊敬と感謝の念”は禁じ得ません。

出来るだけ多くの方々に、この御話を伝え続けて行こうと思っています。








2009/12/30(水) 10:09 | URL | 椿 #-[ 編集]
パレンバン落下傘部隊
生き残りのお医者さんに聞いたのですが、インドネシヤ人には抵抗する人はいない。殆どが華僑たちが反抗するそぶりをしていたと聞いていました。又進駐後も一部を残して移動で虐殺などやってる暇などないうえ、虐殺をすると協力して貰えないので宣撫工作が先、日本軍の宣撫工作は害を与えない事が一番大事と教育されていたと聞きました、軍人が先に弾を撃つわけがないでしょう。
2009/12/30(水) 09:45 | URL | #kU3g/2a6[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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