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大化の改新

GW中なので、今日は肩の力を抜いて、気楽なお話です。
歴史の授業って、本来面白いものだと思うんです。
ところが現実には、歴史の授業がツマラナイと答える学生が多い。
まれに「歴史が好き」と答える子供も、どうしてと訊ねると、年号の暗記だけでテストで点がとれるからとか。。。
おいおい、ちょっとまってよ、と言いたくなります。
でも、よくよく考えてみると、確かに戦後日本の教育現場における歴史の授業は、オモシロクナイ。
なぜかというと、教科書そのものが矛盾の宝庫なのです。
歴史というのは、人々の営みです。
そして人々の営みというものは、常に連続しているものです。
たとえば、縄文時代から弥生時代への移行なんて、西暦何年に突然起こったものなどでは決してなくて、徐々に千年くらいかけて日本全国に広がった。
それを歴史年表などで、何年から、なんてやっても、ウソダロ?となる。
そういえば以前、
≪世界に誇る縄文文化≫という記事で、縄文時代の日本人は狩猟採取生活をしていて、弥生時代に大陸から稲作が伝来したというのはウソだ、と書かせていただきました。
≪世界に誇る縄文文化≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-802.html学校では、「稲作は支那で発明され、朝鮮半島を経由して日本に渡来してきた、そのため土器が簡素なものになり、女性の服装も無地の簡素なものに変化した」などとしていますが、これもオカシイ。
普通、常識で考えて、稲作がはじまって人々の生活が豊かになったというなら、女性の服装や、装飾品、食器や炊事道具(土器)は、前の時代よりももっと豪華なものになるのが普通です。
にも関わらず、「稲作が渡来した」→「生活が豊かになった」→「服装や土器がシンプルになった」という。
子供たちの目でみても、大人が常識的に考えても、これは「変」です。
先日、このブログの読者の方(匿名にしておきますね)教えていただいたのですが、
「三国史記」には、新羅の基礎は倭人が作ったと書かれている。
「随書」には、新羅も百済も、倭国を文化大国として尊仰していた、と書かれている。
そもそも稲作文化、灌漑農業などという高集約型農法は、日本のように平野部が狭くて雨の多いところにこそ馴染みやすいものだし、詳しいことは≪世界に誇る縄文文化≫で書いたけれど、どうやら長江文明という水田栽培稲作文明は、そもそも日本が出発点であった痕跡すらあります。
稲作の灌漑農業が、すでに縄文時代に始まったいたことは遺跡で確認されているし、そうすると、もしかしたら、
「豊かな生活をする日本から稲作が半島や大陸に渡来した」→「支那から朝鮮半島を経由して武器を持つという文化が輸入されてきた」→「武器を持った乱暴者たちからの被害を怖れるために、服装も土器もシンプルにならざるをえなかったのが弥生時代である」なんて見方もできてしまう。
実際≪中国四千年の歴史という馬鹿げた妄想≫という記事に書きましたが、黄河文明の遺跡から発見されている人骨は、モンゴロイドのものではありません。コーカソイドのものです。
支那では、黄河文明よりも二千年以上古くから栄えた長江文明(モンゴロイドの稲作文明)があったところに、突然、黄河流域に狩猟採取民族であるコーカソイドがやってきて、長江文明の村々を襲い、食べ物や女を奪った。
≪中国四千年の歴史という馬鹿げた妄想≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-815.html長江文明も、日本の縄文文化も、どちらも「武器を持たない文化」です。
対人用の武器がない。
武器がないところに、武器を持ったおそろしい連中が襲ってくるのです。
これで長江文明は、完膚なまでに滅ぼされてしまう。
しかし、他人から武器をもって「奪う」文化よりも、自ら食料を造り出す文化の方が、人口養成力は強いです。
結局、対人用武器を持つ黄河人たちが、長江人たちを政治的、軍事的に滅ぼすけれど、人口圧力で結果として血が混じり、漢族が出来上がったとみることができます。
そして支那は、紀元前、春秋時代、戦国時代と、まさに血で血を洗う戦乱の時代に突入してしまう。
普通に常識的に考えて、こうした国家単位の殺し合いの前には、少数の村や集落単位での殺し合いや略奪は頻繁に起こっていたであろうし、そいう時代が長く続くことによって、支那では「国」が誕生しています。
こういう毎日、殺し合いをしているとんでもない武器族の文化が、武器を持たずに平和に暮らしている日本(縄文時代)に入ってくるとどうなるか。
誰も武器をもっていないのです。
法律も警察もありません。
そんななかで、武器を独占的に持ったら・・・・
働くなくたって、食い物も女も略奪のし放題です。
そうなると、武器を持たなかった日本人たちも、武装せざるをえなくなる。
いままでは、土器ものんびりゆったり、いろいろな装飾を施して形のきれいなものを造っていたけれど、いつ襲われるかわからない、襲われればせっかく造った土器も、こん棒でたたき壊されるという時代にあっては、もはや、土器は必要最低限の機能だけの簡素なものにせざるを得なくなる。
女性の服装も、体に耳飾り、首輪、腕輪、手首の装飾品、腰まわりの装飾品など、いっぱいいっぱい装飾品をぶら下げていたのが、襲われて奪われる危険があれば、もはや、身につけることもなくなる。大事な装飾品は隠しとく。
その結果、弥生時代は、服装が簡素となり、土器も装飾性がなくなった。
このような説明なら、古代はめちゃくちゃわかりやすいのではないでしょうか。
時代が下って記紀のお話し。
記紀といえば、古事記と日本書紀です。
実は、古事記と日本書紀では、その成立年代がまるで違うことと、書き方さえもまるで違う。
まず日本書紀についていうと、これは漢文で書かれた日本の正史です。
正史というのは、官製歴史書ということで、要するに、隋や唐に向けて、日本とはこういう国です、と、漢文で語ったのが、日本書紀です。
要するに、アメリカ人に日本の歴史を説明するために、英語で歴史書を書いたようなものです。
ちなみに、日本国が、自国を「日本」と書いたのは、この日本書紀が最初といわれています。
それまでは、日本は、支那語では、「倭」、日本語ならさしづめ、「和」と呼ばれています。慣用的に「wa」と呼ばれていた。
もっとも葦原の中津国、豊原の瑞穂の国なんて言い方もあります。
脱線しましたが、つまり、日本書紀において、日本は、正式に国名を「日本」としたわけです。
で、その日本書紀が、奈良、平安期を通じて、日本の歴史教科書だった。
ところが、この日本書紀を読むと、話に連続性が、ない。
歴史というのは人々の営みであり、脈々と連続しなければならないのに、どうも話が連続しない。
どうもおかしいということで、いまだに日本書紀捏造説なんてのが、巷間ウワサされていたりする。
一方、日本書紀よりも先に書かれたという古事記は、実は、江戸中期まで、何が書かれているのか、さっぱりわからない文書だった。
漢字は使っているけれど、漢文ではないのです。
誰も読めない。
それをはじめて、読み説いたのが、江戸の国学者である本居宣長で、彼は全四十四巻の註釈書「古事記伝」を著します。
日本では、現代にいたるも、いまだこの「古事記伝」をこえる注釈書が出ていないのだそうです。
そして古事記の記載は、まさに脈々とした歴史の流れが息づいている。
なぜこのようなことが起こったのでしょうか。
思うに、当時の世相をみると、半島からの渡来人たちが大挙して日本にやってきています。
要するに在日コリアンです。
彼らは仏教と僧兵と人口圧力をもって、日本の政界に食い込みます。
ちなみに、日本の古代から続く神道は、願い事は叶えません。
「好きな人と結ばれたい」と願うなら、結ばれるような人間になるようにしっかりとお祓いをして浄化しましょう、というだけです。現世利益を解かない。
お守り札などで現世利益を説くようになったのは、江戸時代にはいってからだといわれています。
これに対し、仏教は、おおもとのおしえは別として、日本への渡来仏教は、密教に代表されるように、現世利益を説く。
つまり、あの人と結ばれたいと願えば、お布施をして祈れば願いが叶うと説く。
これは生老病死に苦しむ人々にとっては、実にありがたい。
あっという間に、日本の民間にも浸透します。
そして国内に圧倒的多数の宗教的基盤をつくると、豪華なお寺を建て、そこで僧兵軍団を雇うようになります。
そして政府がなにか御触れを出すと、僧兵たちが都に繰り出して大暴れする。
豊かな財政基盤を築いた在日渡来人たちは、蘇我氏を先頭に押し立てて、朝廷の政治にまで口を出すようになります。
これに怒った中臣鎌子ら排仏派(実は保守派)が、渡来人撲滅、主権回復、在日特権を許さないぞと立ち上がったのが、蘇我氏と物部氏の戦いで、物部守屋は蘇我氏の寺を襲い、仏像を川に投げ入れ、寺を焼いて、三人の尼を鞭で打った。
で、戦争になり、物部氏が負けて都を追われ、森に住んでなったのが、「もののけ氏」なんて話もあるようです。
その後も、渡来系仏教派と、国粋系廃仏派との相克が続くのですが、これが遠因となって672年に起こったのが、壬申の乱です。
教科書などでは、645年、壬申の乱起こる、とたった一行ですまされているこの事件ですが、実はこれ、日本史上の大事件なのです。
なにせ武力をもって朝廷が倒されたのです。
日本の歴史で、こんなひどいことは、後にも先にもこの一回だけです。
朝廷の尊厳を考えない。こんなところにも、渡来人のニオイがプンプンとします。
蘇我氏は、朝廷に弓をひいた悪い奴だけれど、その蘇我氏が律令制度を造っている。
どうも、蘇我入鹿が、小沢○郎にダブってしかたがない(笑)
そして、大化の改新があって、律令制度が設けられ、年貢の制度ができあがる。
全国に国司と群司が置かれる。
カタチだけは、非常に完成したカタチです。
なのに、どうして武士が台頭したのでしょう?
武士は、荘園の警備兵から発展したようなことを教科書では教えるけれど、よくよく考えてみると、これはおかしい。
ビルの管理人のガードマンが、いきなり武装蜂起してビルを乗っ取る、ですか?
ありえません。
寧ろ、律令体制の中に紛れ込んだ在日半島人たちが、理不尽な取立や過度な税金を課すなどをすることにたいし、やむにやまれず武器を持って立ち上がった人たちが、武家として発展していったと考えた方が、つじつまがあいます。
朝廷の中にも、そのあたりをちゃんと理解する保守派の政治家がいて、彼らをバックアップしてくれた。結果として、武士が力をもつようになり、それらが大同団結して、東の源氏と西の平氏が構成された、という説もあるようです。
頼朝が朝廷から距離を置いた鎌倉に幕府を打ち立てようとしたのも、源氏の惣領を打倒して、実質執権の北条氏(平家一門)が鎌倉幕府を仕切っても誰も文句を言わなかったのも、要するに、在日が跋扈する京都から、距離を置いて、我が国独自の文化を打ち立てようとしたため、といえるのではないか。
頼朝が義経を切らざるを得なくなったのも、戦の達人の義経が、京で渡来系と仲良くなることで、渡来系排斥派と、渡来系友好派の対立を招いたせいといえなくはないか。
同じ保守系同志の対立の方が、よりいっそう過激になるのは、おそらく古代も今もかわらないのではないかと思うのです。
要するに、鎌倉の保守派にとって、義経は親中派に見えた。
これでは、何のために保守系武士団の平家と戦ってきたかわからない。
かくなるうえは、義経討つべし。
とまあ、日本の歴史を、渡来人と縄文時代から続く日本古来の伝統的文化を持つ者たちとの相克という視点でとらえてみると、まったく別な歴史のストーリーが見えてくるというお話です。
なんだかんだいって、大化の改新から、まだ1365年しか経っていないのです。
ひとつの世代が25歳とするならば、わずか55世代しか経っていない。
縄文時代は、はっきりと時代測定ができている土器でみて16500年、人骨ベースでみると、日本はどうやら三万年もの長い間、人が暮らし、文化を熟成してきた国です。
そうそう簡単に人々の意識なんて変わるものではない。
いやいや自分は、親とは違う、なんて言っても、年をとると、「亡くなられたオヤジさんにそっくりになりましたね」
現実に、いまのように、在日かなんかわからないけれど、日本にいて、日本人出るがゆえに健康で文化的な生活を保障されていながら、なぜか反日を生きがいにする法務大臣あたりが、平気で最高裁の判決をひっくり返したりしています。
約束を守り、伝統や文化を尊重し、互いに礼節を尽く、力を合わせて生きて行こうとするDNAを持った人と、どういうわけか、そういうことがまったく理解できない日本人がいる。
ソ連のシベリア抑留でも、ソ連の学者が「日本人としての誇りを持ち、厳しい環境の中でも自分たちの仕事をきっちりこなしていこうとする多くの日本人に対し、抑留されるや否や、ソビエト社会主義に尻尾を振り、手のひらを返したように我こそは社会主義思想の旗出であるといわんばかりの変節漢もいる。
この点は日本人という民族を考えるに際し、非常に興味深いところである」などと書いています。
もしかするとこういうあたりも、渡来系というか、在日的DNAと、縄文系DNAの相克がなせるわざなのかもしれませんね。
ちなみに誤解のないように申し添えますが、このお話は、現代を生きる在日外国人以外の日本人の、苗字がどうのとか顔立ちが弥生系だとか縄文系だとか、そういうことによる外形上のことを言っているのではありません。
長い年月の間に、渡来系も純日本人も血が混じっているのです。
わたしたち日本人の中には、だれしもが、自分の中に両方の遺伝子を持っているのかもしれない。
ですから、口に苦いことですが、私たち日本人の中には、みんな純粋に日本的もしくは縄文的な「和」を大切にする心と、渡来系の「欲」の両方の遺伝子があるのかもしれないのです。
過ぎた昔のことをとやかく言ってもはじまりません。
そんなことより、和を大切にする日本の心を失わず、わたしたちいまをいきる日本人全員が、素晴らしい日本の心の伝承者でありつづけてていくことの方が、もっともっと大切なことなのではないかと思います。
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姫神: 縄文海流〜風の縄文掘 縄文人と縄文語 "Lived with nature"
- 関連記事
いつも、貴重な記事ありがとうございます。
勉強させていただいております。
皆様、お疲れ様です。
殺処分対象、3万頭に迫る=豚でまた口蹄疫疑い−宮崎
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100504-00000084-jij-pol
まったく終息する気配がありません。
宮崎県は壊滅的です。
これでは細菌テロです。
早くどうにかしないと、
助けてあげないと、
取り返しがつかなくなります。
でも政府は動きません。
報道もシャットアウトされています。
宮崎県の皆さん頑張ってください!
声をあげてください!
どうにかして、宮崎県を救う方法はないでしょうか。
皆様のお知恵を拝借できませんでしょうか。
下記コメント欄でお待ちしています。
http://sitarou09.blog91.fc2.com/blog-entry-176.html
何卒、よろしくお願い申し上げます。
弥生人は、半島からやってきた騎馬民族。
日本語の起源は、高句麗語。
卑弥呼も天皇も朝鮮系。
奈良の都は、半島人が作ったナラクダラ。
日本の民族衣装である着物(和服)は、半島起源。
万葉集は、韓国語で読める・・・
もう、ありとあらゆる物が半島起源と教えられました。
平城京や平安京が、唐の都長安を模して設計された事さえ教えられませんでしたし、遣唐使や、鑑真についても殆ど教わりませんでした。
日本の古代は、日本か半島か、このいずれしか無いと教わりました。
異常極まりない授業でした。
ちなみにその教師は、仕舞にはアリランを口ずさみ出しました。
おかげで私も、“あ〜りらん、あ〜りらん、あ〜ら〜り〜よ〜”と、今でも口ずさむ事ができます。
民主党の重鎮輿石東氏が、「教育の中立は有り得ない」と豪語した事は有名ですが、「教育の中立」は、絶対に必要だと確信しています。
というよりも、心の指向性がと言う方が正しいかもしれません。
それはというと、端的に言えば、他者に対する自己犠牲の精神かと思います。人は教育無しに人格を形成することは困難です。親から、あるいは師から、そして書物から、多くの事を学び人格を形成していく。
そして、二種類というのは、その教育への姿勢です。同じ教育を受けてもまったく違う人格になることも多いでしょう。
どうしてかといえば、教育から受ける取捨選択の違いといえるでしょう。
そして、物心がついてくれば自らの感性にあう書物を捜し求めよりその指向性に共感し、精神を成熟させる。
そこが、人格形成の分岐点だと思います。
日本人が、先の大戦で自己犠牲を苦ともせず戦い抜いたのはそう言った指向性をもつ個体が多かったということでしょう。それを、遺伝的なものと、経験的に言う事も出来る。
高等宗教になればその高度な徳目には、必ず他者の為に生きることが説かれます。
宗教という色違いでも、そういった指向性は共通するものです。
体つきは、遺伝というものがはっきり写るので、わかりやすいですが、そう言った精神に関しては解りにくい。
聖人のような親から悪鬼のような子供が生まれる事さえありうる事を思えば、不可解な面もある。
その辺は、今の科学、あるいは哲学などの未だ及ばない範疇なのかもしれません。
しかし、民族的性向というのは経験的なもので測ることができるでしょう。
明らかに特亜の人たちが、日本人とは遠く異なる人々であると。
645は大化の改新 親中派(唐)大臣 対 親朝鮮民族派(仏教中心)
壬申の乱は朝廷内部における権力争い(大海人皇子対大友皇子)。親中派 対 親朝鮮派
633 白村江の戦いの後遺症が壬申の乱まで続き、大海人皇子の勝利により脱中国が完成し、和国として独自の道を歩むことになる。
このような勢力ならば確かにいたと思います。
ついでに、渡部昇一先生が指摘されていることですが、面白いことに天武天皇の家系から天皇がでてこなくなるというのです。
家系図の読み方がさっぱり解らないので自信はないのですが、確かに天武天皇の血は途中から絶えているように見えます。
もしかして天皇家の中での天武天皇の位置づけ、あるいは評価が表れているのかもしれないと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=4ZF9E_gnYpc
こどもの日に平和を祈りましょう。
朝鮮人は外国の支那や日本の古代の記録を使って古代史を想像しているのです。古代に資料がないので実質的に古代朝鮮語は存在しません。
万葉集が朝鮮語と似ているというのは、現代の朝鮮語と古代の万葉集を比較して居るのであり、方法論としてまったく不合理です。
人類学では、民族は神話と言語によって区別されます。日本と朝鮮は神話が全く違い狡鮮は動物(熊)神瓠言語も全く違いますので別の民族です。
(東海子)
(宮崎正弘のコメント)話は飛びますが『魏志倭人伝』にしても、うわさ話を元に書き連ねて倭人などと蔑称を用いていますが、こんなものを有り難がって論争しているのは日本だけでしょうね。歴史考証に耐えないものです。
あれは信用できない古文書として片付ければ良いのです。
http://www.melma.com/backnumber_45206_4767659/
日本の自然(茅や雑木が密生した空間)で、狩猟採取の民と対峙すれば、索敵能力や地の利は縄文人側にあるので、毒矢・毒吹矢で殲滅される可能性の方が高いと考えられます。(狩の道具は有事には武器となります。)
状況が変わったのは、大陸性の感染症が縄文人の活力を削いだからだと考えられます。(猩紅熱、結核等)
聖徳太子も、仏教の伝来に合わせて日本に上陸した天然痘により亡くなっています。(ネイティブアメリカンも天然痘により人口が激減し、白人の支配に降りました。)
地政学的に特アと日本は、永久に緊張関係を持続しなければならない宿命なのでしょう。
かの国の闇が生み出す新たな感染症には、十二分に注意しなければなりません。(世界の感染症の殆どは中国とインドが起源である。→SARS禍はハクビシンではなく私は蝙蝠が保菌獣だと疑っています。→感染症のデパートのような動物と極貧階層が深く交わる地域では、今この瞬間にも新型感染症が発生する可能性があります。)
口蹄疫も韓国の視察団が日本に持ち込んだと、噂されていますので、日本人は防疫に対してより強い関心をもつべきでしょう。(江戸期の長崎の出島は、情報統制よりも防疫に重点の置かれた施設です。)
現世利益的な土着の信仰を、インド人がもっともらしく哲学的な衣をまとわせたものです。
それが、道教など現世利益追求の宗教を広く信仰する中国で大いに受け、唐に渡った空海がこれを学んで自分のものにして帰国、最澄もその一部を持ち帰って来るのです。
ちなみに空海は、脚色されていない実際の血筋を考えると、土着も土着も、縄文系の人ではないかと思います。
現世利益=半島系、という発想は私にはありませんでした。
現世利益追求、というのは何処の世界にもある考え方です。
中国でも、殷王朝成立のはるか以前には、素朴な人々が森の神や川の神や、そこで獲れる動植物を神格化して「明日の豊かな暮らし」を祈っていました。
その後、神に生贄を捧げたり、自ら神に近付こうとしたり、色々ともがきながら、“最も深遠な思想と、最も露骨な現世利益追求”を説く道教が後に広く浸透して行ったのです。
日本は道教の普及を断りますが、その“断片”は、日本人の日々の暮らしや伝統宗教にも入り込み、静かに根を下ろしました。
人間は、社会の変化に従って、それに即した宗教観や価値観を誕生させますが、人種や民族が異なっても、同じような軌跡を辿って思想が発展するケースは少なくないと感じます。
自分でも何を言っているのかよく分かりませんが、日本=絶対善、特亜=絶対悪、という構図はどんなもんでしょう。
同庁によると、3日午後2〜3時半ごろにかけて、昭洋が奄美大島の
北西約320キロの海域で海底地形の調査をしていたところ、中国の
海監51(1700トン)が昭洋まで約900メートルに近づき、
「この海域は中国の規則が適用される」として、無線で調査の中止
を呼びかけた。
【前航空幕僚長の論文問題の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj10.cgi
要するに在日コリアンです。
非常に誤解を与える書き方では無いでしょうか。
百済を支配していたのは倭人王、住んでいたのも倭人ですので、
在日コリアンに例えるのはおかしい思います。
外部の者には、その中に入ることも、内側でのやり取りをうかがうことも出来ない。
壁の中は、まったくの狂熱的愛国者だけの世界、充満した排他意識で爆発寸前の袋小路となった状態だ。
ここで言うのは、「バカウヨの壁」である。
日本の壁ではない。
気の利いた日本人ならば壁などは意識しないだろう。
流暢に、あるいはぎこちなく外国語を使って(ときには日本語だけでも使って)、外国人と意思疎通をはかり、人の輪を広げていくことができる。
また、日本人ばかりで意思疎通しあうのが悪いと言うのではない。
同じ国の者にしか通じない話をするからといって偏狭とは責められない。それはどこの国の人もやることだ。
ネット右翼のような病理人格にだけ耐えられる話題で、いい大人同士がかたまり合うことに特異性があるのだ。
意見書文例(緊急):韓国から伝染し国内へ上陸した「口蹄疫」への
対処をお願いする与野党議員への意見書(マスコミ用おまけ文例つ
き)*利用、改変可*
民主党の政権担当能力は疑問視されていましたし、仕事が出来ない
のはこれまでの政権運営で分かってます。しかし、問題に対処でき
ない、出来る人にも振れないのなら、怠慢以外の何物でもありま
せん。
【マスコミ隠蔽の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
ならば言いたい。
日本の国外で、日本人の指針となるものがあるのかと。
貴方の言ってる事は、外国人の言ってる事が正しくて、日本人がかたまって話し合う事などろくなことがないと言っているに等しい。
我々に必要な指針が何処にあるのかと伺いたい。
それを、示して頂きましょうか。
私はネトウヨの集まりとは思っておりませんよ。
少なくとも今までの長年に渡るおかしな教育や自虐史観から日本国を世界の普通の国々のように取り戻して
子孫達に中韓に媚びて属国化した日本ではなく寄り良い
しっかりした国を引き継ぎたいと思っております。
右翼撲滅さんの仰るご意見の前半部分を中国や南北朝鮮に置き換えればすんなり理解できますがね。
彼らは愛国無罪を叫んで日本を貶めても平気である事は今までの数々の所業を見ても明らかです。
このような国々が隣にあるのに「友愛」で外国人にまで日本人の税金をばら撒いたり選挙権を与えようとしたり
欧州では失敗している移民を入れようとしたりする
政党や政権に対して物申す事が右翼にあたるのですか。?
そのような考えのほうがよっぽど了見が狭く危ないと思うのですが。?
ちなみに右翼と呼ばれる方達の反対側におられる考えの方達は戦前までの日本を否定し、なんでもかんでも反米との事ですが、日本を貶める中国や南北朝鮮の行動に対しては全く非難もしないと聞いております。
これでは日本国民としてのアイデンティティも疑われると思いませんか。?
現在、外国人参政権、外国人住民基本法、人権擁護法案等、危ない法案が目白押しです。清和会の時より酷い状態です。
伐採した後の山に何も植えずに裸のまま放置。
木がなかったら水も溜まらない。
水田耕作民の道を奉じた天孫民族の古制が、道としての本みち、正しかったのである。そしてこの系列の考え方が、神武天皇の肇国原理
となり、崇神天皇の古道恢弘の原理となる。
それは宗教秘儀の問題でなく、所謂民本となり、国本となる法の問題である。かゝる法に立つ国(くに)は、今日云う国家観念では律し得ない。それを爐△瓩したをいえとなす瓩塙餝惻圓呂茲鵑澄B┐組紘爲宇であるが、近時に於いてはこれを領土あるいは植民地となすと考える者が少なくなかった。古道が不明になった一つの証拠である。
大化改新の朝廷で、蘇我石川麻呂が、改新の公地公民思想(郡縣制主張の原則)と、それの根元となる儒教的な制度と法の思想に反対し、神道を説いたことは、単なる神祇尊重と云った類の、後世の宗派神道風の信仰のみに立つ見解でなく、もっと根本的な道と法と体制の思想から、国本を正す所以に発したものである。即ち生活と社会と国家の根本となる原理に於ての対立であった。
蔓草は横にのびて境界を犯すが、稲は上にしかのびない。牛馬は牧場の縄張りを越えて他人の草を食むが、上田の水を暴力で保持することは出来ない。
思想上に於ける宣長の最も辛苦したる努力は、老子の所謂無政府的思想を論破した時である。この労力の成果は平田篤胤はあまりうけとらなかった。人の作ったみちではない、天地自然のみちでもない。たゞ一つ爐海里澆銑瓩髪召辰神訥垢里海箸个髻∈Fの思想界の俗語にかえて云うことは、小生の一つの務めだったのである。
保田與重郎『「日本に祈る」にひなめ と としごひ』より
http://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/history/1258529707/
馬野周二著 人類文明の秘宝日本
世界最古の日本の古文書 ホツマツタエ
竹内文書
これらを読めば日本というものが段々と解る。
天皇の祖先の神々が宇宙、地球、日本、世界を造った。
食物を造った。
日本の天皇の子孫が世界の王として派遣され各国を統治した。
日本は天皇が国民を大御宝(おおみたから)として大事にし恵民立国で国を
運営した。その方針を実現すべく世界各国を天浮船にのり監督した‥一時的に
日本の大自然災害により文明が後退し支邦より文明を入れる必要があった。それが
遣隋使などであるがそれはあくまで一時的なものである.誤解してはならない‥本朝はあくまで日本ということを‥その証拠にある程度遣唐使で文明を入れたらはいそれまでよと切り捨てた。
太古よりの伝統にのっとり天皇は大御宝として国民を大事にし、また国民も御天道 様すなわち太陽の霊より分かれた天照大神(実在の男性)その子孫天皇を敬愛する のである。
それが日本国民だ。
私はその日本、皇室、日本の可憐な女性達を守る為ならいつでも死をいとわない。
しかし、日本の本州からは、その遺伝子は消えている。
とっても不自然なことです。
日本の本州から犬が消える・・・とすれば、
疫病、または天敵の出現、がもっとも可能性の高いことでしょう。
天敵と言えば・・・犬を食う人種がいましたよね。
疫病も一緒に入ってきたとすれば・・・
>天敵と言えば・・・犬を食う人種がいましたよね。
劉邦の腹心樊噲の元々の職業は、犬肉屋でしたね。
犬肉料理は、ベトナムまで広がっています。
朝鮮=犬肉
というイメージがありますが、実は、中国人もよく食べたはずです。
どうされたのですか?
「歴史の影に在日あり」的史観、「在日の圧力で大和の歴史は折々に曲がってきた」的史観はイタダケないです
民団や総連や創価のような組織が古来より存在し、日本の政治における重要な(闇の)ファクターとなっていた的結論は「ちょっと待って…」と思います
http://www.elinkslondonsale.com/
http://www.epanbeads.com/
犬肉料理は、ベトナムまで広がっています。 http://www.linksestore.com/
http://www.lvtaschenonlineshop.com/
http://www.onlinepandorabeads.com/
既にいくつもの指摘のコメントがありますが、二番煎じながらコメントさせていただきます。
日本の歴史を在日対立史観というのも、話としては面白いですが、これはあまりにこじ付け過ぎの観があります。奈良、平安と雅な貴族文化を形成した日本の政権主体が、半島系の無文化民族なわけがありませんよね。日本人の血にも何%かのチョーセン系の血が混じっているのは、可能性として否定しませんが、日本人はシナ人ともチョーセン人ともまったく異なる人種です。日本人の歴史は日本民族の歴史だと思います。その歴史が変わろうとしているのが、今、現在なのではないでしょうか。私や多くのブロガーが危機感を持っている今を祖国のために乗り越えていきましょう。
7/14.(水) tiffanys
7/14 (水) tiffany & co のこの二つのコメントは私が以前、確か 「名無しさん」 の名前で投稿したコメントです。
文章を変えず、そのまま使用されています。
気持ち悪い、こんな事があるなんて、、、本当に、気味が悪い。
こんな事ってあるんですか?