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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


キスカ島撤退作戦


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木村昌福海軍中将
木村昌福海軍中将


求める結果が得られなかったからと、上司からも同僚からも部下からも轟々たる非難を受け、孤立無援となる。
しかし自分の果たす役割には、6000名の命がかかっている。

そんなとき、あなたならどうしますか?


今日書くのは、昭和18年7月29日のキスカ島撤退作戦のことです。
キスカ島というのは、日本の北太平洋にあるアリューシャン列島にある島です。

その島に残る日本兵2650名を、島を包囲していた連合軍に全く気づかれずに、無傷で守備隊全員を撤収させた。

キスカ島撤退作戦は、まさに奇跡の作戦と呼ばれています。
しかしそこには、名将木村昌福(きむらまさとみ)中将の強固な忍耐と果敢な決断がありました。

木村昌福氏は、明治24(1891)年の生まれです。
静岡県静岡市の出身で、旧制静岡県立静岡中学(現・静岡高校)から海軍兵学校に入校しました。
卒業時の成績は、118人中第117位。
ビリから2番目です。

そういえばねずきちも、中学時代、勉強をさぼってばかりいて、いちど、学年順位が328人中、327番になったことがありました。

で、ねずきちの後ろの順番の子が、やや精薄で、養護学校に転校してしまった。
こりゃやべえ!って思って、次のテストで猛勉強をしたら、おかげさまで、学年順位がいっきに上った。

「やればできる」なんて思ったのが運の尽きで、再び勉強をサボって、またまた成績は低下してしまいました(笑)

さて、木村は、兵学校卒業後、海軍大学への進学はあきらめ、水雷屋として軍歴を過ごします。

大東亜戦争開戦時には、巡洋艦「鈴谷」の艦長などを勤めた。
昭和18(1943)年2月には、第三水雷戦隊司令官に就任しています。

ビスマルク海戦では、護衛部隊指揮官を勤めました。
艦橋で敵攻撃機の機銃掃射を浴びて、左腿と右肩に貫通症、右腹部に盲貫銃創・・・どうみても重症です・・・を負いながら、最後まで指揮を執った。

撃たれたとき、信号員が咄嗟に「指揮官、重傷」の信号旗を挙げたのです。
木村は、これに、
「陸兵さんが心配するではないかっ!」と怒鳴り付け、すぐに
「只今の信号は誤りなり」と訂正させた。

気迫というのは、成績じゃないですね。

軍病院での治療後、第一水雷戦隊司令官に着任し、その年の7月には、キスカ島撤退作戦を成功させています。

さらに昭和19(1944)年には、レイテ島挺身輸送作戦を二度も指揮して成功させ、さらにミンドロ島の米上陸地点への突入作戦も成功させた。

おかげで木村は、現場畑だけで、いちども大本営勤務を経ずして中将にまで出世した稀有な人となりました。まさに叩き上げの士官だったわけです。

さて、アッツ島は、昭和17年6月に日本軍が支配下に置いています。
ところが、ここに日本軍の拠点があると、アメリカにとっては、ほんとうに怖い。米国本土への脅威となるからです。

実際には、他の作戦のどれを見てもそうなのですが、日本は、大東亜戦争を通じて、米国本土への上陸の意図、つまり米国を占領し、支配下に置くという意思を、まったくもっていません。

チャンスはあったのです。
たとえば、ハワイの真珠湾を攻撃した後、米国太平洋艦隊空母を求めて、米国西海岸に迫ることもできた。

カリフォルニアあたりは、充分に占領できる可能性すらあった。
しかし日本は、そういう行動を一切とっていません。

日本にとって、大東亜戦争は、自存自衛と大東亜共栄圏の植民地被支配からの解放に目的があり、欧米列強を侵略する、という意図は全くなかったからす。
(ちなみに真珠湾のあるハワイは、いまでこそ米国領土ですが、大東亜戦争の当時は、ハワイは独立国であり、人口の半分は日本人です)

ですから、アリューシャン列島に駐屯した部隊は、あくまで守備隊であり、攻撃部隊ではありません。

当然、申し訳程度の守備隊しかおいてなかった。

ところが、アメリカ側からみると、強い(怖い)日本軍が、いるのは、どうにも気持ちが悪い。
米国本土であるアラスカと目と鼻の先なのです。
責めて来られたらたいへんなことになる。

米国は、昭和18年5月12日、アッツ島に上陸し、攻略作戦を本格化させます。
≪→アッツ島の戦い≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-546.html

この戦いで、アッツ島守備隊2650名は、制海権、制空権を失った北海の孤島で、圧倒的火力を持つ米軍12000名を相手に果敢に戦い、玉砕しました。

守備隊長の山崎保代(やまさきやすよ)中将は、最後の突撃のとき、先頭を切って吶喊し、撃たれても撃たれても立ち上がり、敵に肉薄した。
山崎中将のご遺体は、突撃隊の一番前で、発見されています。

最後の突撃で、中将は、いちばん先頭に立ったのです。
先頭だから、いちばん最初に撃たれた。
それでも立ち上がり、また一番前に出た。
また撃たれた。
また立ち上がった。
そして全軍が絶命したとき、山崎中将のご遺体は、突撃隊の先頭にいたのです。

昭和天皇は、アッツ島守備隊の死を悼み、すでに無電を受信する者さえいなくなったアッツに向けて、「最後までよく戦った」と電報を打てと命じられています。

こうしてアッツ島が玉砕することにより、キスカ島にいる守備隊(陸海軍あわせて6000名)は、完全に孤立してしまったのです。

アッツより、キスカ島の方が、アメリカに近いのです。

なぜキスカの方が、アッツより守備隊要員が多かったのかといえば、キスカ島のほうがアメリカ本土に近いから、米軍が先に攻略してくるのはキスカであろうと読んだためです。日本軍は、キスカに兵力を重点配置した。

しかし、寡兵のアッツ島が陥落すると、キスカは、米軍の手に渡ったアッツと、米軍飛行場のあったアムチトカ島に、完全に挟まれた。
制海権、制空権も、完全に米軍に握られています。
キスカは、戦略的に孤立してしまったのです。

この時点で、キスカ守備隊は、退くに退けず、本土からの増援部隊や補給の応援も見込めない。
最早、全員玉砕するしかない。
キスカ守備隊は、そう覚悟を決めます。

しかし、味方兵士を、なにもせずに見殺しにするのは、武士道に悖(もと)る行為です。
大本営は、キスカ島守備隊の撤退作戦を計画します。

「ケ号作戦」といいます。
ちなみに、「ケ」というのは、日本軍が撤退作戦を行うときに必ず用いた作戦名で、「ケ」は「乾坤一擲」という意味です。

はじめ、キスカ撤退作戦は、潜水艦で行われました。
この時点で日本海軍はソロモン方面の作戦で、多数の駆逐艦を失っており、これ以上の艦の損耗は避けたかったのです。

昭和18(1943)年6月、15隻の潜水艦で2回の輸送作戦が行われました。
この作戦で、傷病兵等約800名が後送され、守備隊には、弾薬125トン、糧食100トンが輸送できました。

しかし米軍の哨戒網に発見され、一回目の潜水艦輸送作戦で、「伊二四潜水艦」を、二回目の輸送作戦では、「伊七潜水艦」、「伊九潜水艦」を失ないます。

成果の割に、損害が多い。効率が悪い。

このままでは、全軍の撤退は不可能です。
残った守備隊は、見殺しになってしまう。

水上部隊で、大規模な撤退作戦を実行するには、海上に霧がかかる7月中にやるしかない。8月になると霧がなくなり、撤退作戦など思いもよらなくなってしまうのです。
霧がなければ、救助艦隊はまる裸です。

こうして2度にわたる潜水艦作戦は打ち切られ、キスカは、水上艦艇による第二次撤退作戦が開始されることになりました。

この作戦の成否を決める要素は2つです。

1 視界ゼロに近い濃霧が発生していること
2 日本艦隊にレーダーを装備した艦艇がいること

の2つです。

濃霧が発生していれば空襲を受けずに済みます。
当時、キスカ島のすぐ東側のアムチトカ島には、米軍の航空基地があり、B-25などの爆撃機がいたのです。
制空権を奪われた中での水上艦艇による撤退作戦は、万一空襲を受ければ、全滅の危機を招きます。

当時はまだ、目視飛行の時代です。
濃霧の中で空襲をかけられる航空機は、世界中どこにもなかった。
日本は、そこに一縷の望みを賭けたのです。

ただし、濃霧は敵の空襲から味方を守ってくれるけれど、こちらも敵を発見できない。
だからこの作戦に、レーダーは不可欠です。

ちなみに、日本の艦船へのレーダー配備は、米軍ほど進んではいませんでした。
このため戦後、左翼系学者などが、日本軍がレーダーの配備をしなかったのは、アホだったなどと言っています。
これは、大きな間違いです。

当時のレーダーというのは、昨今のレーダーのような高性能なものではありません。
いまなら小型の釣り船が搭載している魚群探知機程度の性能です。
だからレーダーよりも訓練を受けた日本兵の肉眼の方が、はるかに「高性能」だったのです。

実際、広島と長崎に落とした原爆を米国から運んできた重巡洋艦インダナポリスを、後年、日本の伊58潜水艦が沈めていますが、これは当時まだ性能の低かったレーダーに頼る米軍より先に、日本側が、月明かりを頼りに肉眼で敵艦を(先に)捕捉したことによります。
インダナポリスは、伊58にまったく気付かないまま、轟沈している。

当時のレーダーというものが、まだその程度のものだったということと、訓練を積んだ帝国軍人が、いかにものすごい能力を発揮していたかを示す一例だと思います。

さて、第二次水上撤退作戦の実行部隊である第一水雷戦隊の司令官には、冒頭でご紹介した木村昌福少将(当時)が就任します。

木村は、まず、第一次作戦に参加した潜水艦から数隻を選び、水上撤収部隊に先行させてキスカ島近海に配備して、この地域の気象情報を通報させます。

同時に、大本営に対し、就役したばかりの新鋭高速駆逐艦「島風」の配備を求めた。

「島風」という船は、二二号電探と三式超短波受信機(逆探)を搭載する、当時の科学技術の粋を集めた最新鋭艦だったのです。

さらに木村は、万一肉眼で米軍に発見された場合を想定し、自軍の船が米軍艦船と誤認される艦船の煙突を白く塗りつぶしたり、偽装煙突をつけたりなどの偽装工作を各艦に施します。

参加兵力は、軽巡2、駆逐艦11、海防艦1、補給船1、計15隻の大高速艦隊です。

かくしてキスカ島守備隊撤退作戦「ケ」号作戦は、昭和18(1943)年6月29日に発動されます。

最初に出撃したのは、気象通報の役割に従事する潜水艦。

1週間遅れて、7月7日19時30分、全艦が出撃します。

7月10日、アムチトカ島500海里圏外で集結した撤収部隊は一路キスカ島へ向かいます。

12日がXデーです。

全艦、深い霧の中を、静かにキスカに向けて進みます。

ところが、艦隊がキスカ近海に近づくと、霧が晴れてしまった。

全艦、いったん突入を断念。近海の霧に隠れ、決行予定日を13日に変更します。

しかし残念なことに、13日、14日、15日と霧が晴れ、突入を断念せざるを得なくなる。

やむなく木村少将は、15日午前8時20分、一旦突入を諦めて帰投命令を発します。
燃料が底を尽きはじめてしまったのです。

「帰れば、また来られるからな」

それが、このときの木村少将の言葉だったといいます。

こうして撤収部隊は、18日に一旦幌筵の基地に帰投します。

ところが、手ぶらで根拠地に帰ってきた木村少将に対し、直属の上官である第五艦隊司令部のみならず、連合艦隊司令部、さらには大本営からも、

「何故、突入しなかった!」
「今すぐ作戦を再開しキスカ湾へ突入せよ!」等々

帰島した木村少将に轟々たる非難が浴びせられます。

「腰ぬけ!」とまで言われた。

上官や本部が怒るのも、無理もないことなのです。
あと半月経って、8月にはいったら霧はもう出なくなる。
そうなれば米軍のキスカ攻撃が始まり、最早、撤収作戦の成功は見込めない。
加えて、この地域に備蓄していた重油が底を尽き始めており、作戦はあと、一度きりしか行えない。
そこで重油を使ったら、最早、日本艦隊は、船を動かすことすらできなくなる。

焦りが出るのも、当然だったのです。

しかし、木村少将は、こうした非難にじっと耐えます。
木村自身が、この年の2月に参加したビスマルク海海戦で、敵空襲を受けた経験
を持っているのです。
上空援護のない状態での空襲は、水雷戦隊にとって致命傷であることを、木村は嫌というほど体験していた。

加えて、作戦の成功のためには、とにもかくにも、霧を待たなければならない。

木村は、あらゆる非難中傷に、じっと耐え続けます。

そして帰投して4日目の7月22日、幌筵の気象台から、「7月25日以降、キスカ島周辺に濃霧発生」との予報がはいります。

最後のチャンスです。
この期を逃したら、最早、撤収作戦は水泡に帰してしまう。

木村は、この予報を聞くと同時に、全艦隊、出撃の命令を発します。

ただし、この出撃には、「督戦のため」と称して河瀬四郎第五艦隊司令長官以下、第五艦隊司令部が座乗し、実行部隊に同行します。

木村は、「疑われた」のです。

この時の作戦は、艦隊は、カムチャツカ半島先端の占守島から、北太平洋を一挙に南下し、そこからアッツ島南方海上まで東に進路を取り、そこで天候を待ってキスカ湾に高速で突入、

守備隊を迅速に収容した後、再びアッツ島南方海域まで全速で後退し、その後、幌筵に帰投する、という計画です。

ところが、ここにも試練が待ち受けます。

期待の霧が、あまりに濃すぎて、出航が各艦、まちまちになってしまったのです。

洋上3日後の7月25日には、「国後」を除く艦隊が、いったん集結したものの、翌26日には濃霧の中を航行中に、行方不明だった「国後」が突如出現。
「阿武隈」の左舷中部に衝突し、その混乱で「初霜」の艦首が「若葉」右舷に衝突、更に弾みで艦尾が「長波」左舷に接触し、損傷が酷かった「若葉」は艦隊を離脱し単独で帰投することになってしまう。

残った船で、キスカ近郊で待機した7月28日、艦隊の気象班が、
「翌29日、キスカ島周辺、濃霧の可能性大」
と予報を出します。

気象観測に出ている潜水艦各艦、ならびにキスカ島守備隊からも、濃霧を裏付ける情報が寄せられます。

ここへきて、木村司令は、全艦突入を命じます。

艦隊は、敵艦隊との遭遇を避けるために、島の西側を迂回して、島影に沿いつつ、ゆっくりとすすみます。

7月29日正午、艦隊はキスカ湾に突入します。
濃霧の中の突入です。座礁や衝突の危険もある。

ところがこのとき、まさに神風と呼べる一陣の風が吹き、湾内の濃霧をきれいに吹き飛ばしてくれます。

13時40分、晴天の中を、艦隊、投錨。

直ちに、待ち構えていたキスカ島守備隊員5200名の収容にはいります。

持っている小銃は、全部投棄させた。身軽にして、輸送行動を速めたのです。

そしてなんと、わずか55分という異例のスピードで、全将兵を艦内に収容した。

収容に使ったはしけは、回収せずに自沈させ、直ちに艦隊はキスカ湾を全速で離脱します。

その直後、キスカ湾を、ふたたび深い霧が包みこんだ。
まさに、神が降ってきたとしかいいようのない撤収作戦となった。

艦隊は、濃霧の中を、全力で空襲圏外まで離脱します。
そして、7月31日、幌筵に全艦無事帰投した。

気象観測に出した潜水艦も、全艦無事帰投します。

世界の戦史上、最初にして最後の、無傷での撤退作戦が、ここに無事、完結したのです。

それにしても、どんなに非難されても、いかに中傷されても、黙々と自身の役目を果たした木村少将のこの間の胆力は、まさに凄いと言わざるを得ないものと思います。

上官および上層部全部を敵に回しても、撤収すべきときには撤収し、チャンスとみれば果敢にこれを実行する。

なにかあると、すぐにキレたり、任務を放りだしたりする現代人は、まさに木村少将のこの胆力を見習うべきと思います。

一方、この作戦の間の米軍の行動を見てみます。

米軍は、霧の晴れる8月を期して、キスカ上陸部隊突入を8月15日と定め、戦艦ミシシッピー、戦艦アイダホを旗艦とする大艦隊で、海上封鎖とキスカ島への砲撃を行っていました。

7月23日、米軍の飛行艇が、アッツ島南西200海里の地点で7隻の船影をレーダーで捕捉。

艦隊司令長官トーマス・C・キンケイド中将は、これを日本艦隊とみて直ちに迎撃作戦を実施します。

また、7月26日には、濃霧の中で「ミシシッピ」のレーダーが、キスカ島から15海里の地点で船影を捕捉。
他の艦からも同様の報告を得たキンケイド中将は、直ちにレーダーによる猛射撃を開始させています。

ところが、約40分後、レーダーの日本艦隊の船影反応が、消失。

不思議なことに、この戦闘の中で、重巡「サンフランシスコ」のレーダーには、この戦いの最初から最後まで全く反応がなかったそうです。

実際には、このとき米軍のレーダーに映った影は、どちらも濃霧による誤反応でした。
米軍は、この2回の攻撃で、三六センチ砲弾118発、二十センチ砲弾487発を使用していますが、このときのすべての砲弾は、何もない海域に着弾しています。

もちろん、日本艦隊には、なんの被害も出ていません。

この攻撃の際に、米艦隊が砲撃データとして発信していた電文は、全て日本艦隊
が傍受しています。
日本側では、米軍の突如の猛発砲に、彼らはもしかすると同士討ちをやっているのではないかと、いぶかったといいます。

しかし、何もないところに猛攻撃を加え、レーダーから日本艦隊を消滅させたと見たキンケイド中将は、日本艦隊を撃滅せしめたと思いこみ、弾薬補給のために一時的に艦隊を後退させる決断をしています。

つまり、木村艦隊がキスカに近づこうとしていた7月28日、キンケイド中将は、キスカ島に張り付けてあった哨戒用の駆逐艦まで率いて、全軍を一時後退させていたのです。

米艦隊が補給を終え、キスカの海上を封鎖をしたのが、7月30日でした。

そういうわけで、木村艦隊は、ちょうど米艦隊が補給のために一時帰投していた、ちょうど中日にあたる7月29日に、キスカ湾に侵入。
無傷で、守備隊全員を、収容し、撤退していたのです。

8月15日未明、米艦隊は、艦艇100隻余りを動員し、兵力約3万4000名の上陸部隊をもって、キスカ島に上陸します。

事前には、艦隊による猛烈な艦砲射撃を行っている。

そして濃霧の中で、上陸用艇が、いっせいに島に上陸しています。

アッツ島の果敢な攻撃を体験した米軍は、このとき、最早存在しない日本軍兵士との戦闘に備えて極度に緊張していた。

そしてふとした弾みで、各所で同士討ちが発生。
死者約100名、負傷者数十名を出しています。。

キスカ島攻略を完了したときに、米軍が発見したのは、遺棄された数少ない日本の軍需品と、数匹の犬だけだった。

米国の戦史家モリソンは、この上陸作戦について、次のように書き遺しています。

~~~~~~~~~~~~~~
救出艦隊の指揮を執った木村少将の戦術指揮には、高い評価が与えられている。

特に一度目の出撃で、天候に利が無いと見て、各艦長の突入要請を蹴って反転帰投を決断したことが焦点となる。

当時の海軍の状況は切迫しており、

戦力として貴重な艦艇を無駄に動かす結果になること、
欠乏していた燃料を浪費してしまうこと、
またそれによる上層部や各所からの批判、

などは、当然予想された。

また、活発化しつつある米軍の動きから、反転してしまえば二度と撤退のチャンスがなくなる恐れも充分に考えられた。

それでも、作戦成功の可能性が無いと見て反転するという一貫性のある決断力は評価される。

実際、このとき突入を強行していれば、米軍に捕捉・撃滅されていたであろうことは、当時の米軍の展開状況から見ても容易に推察できる。

結果として二度目の出撃で、たまたま米軍が島の包囲を解いた隙を突くことになる。

日本に都合のよい偶然が重なったことも事実であるが、木村少将の、霧に身を隠して一気に救出するという一貫した戦術指揮が大きく作用したことは確かである。

~~~~~~~~~~~~~~~

実際にこの作戦に参加した将兵や、キスカ島から撤退した将兵は、戦後、キスカ島での撤退作戦について、

「この作戦の成功は、アッツ島の英霊の加護があったと思った」

と回想しているといいます。

船というのは、接岸するときというのが、もっとも操船の難しいものです。

狭いキスカの湾内に14隻の艦隊が、いっきに突入するのです。
もっとも船舶事故が起こりやすい湾内侵入の際、もし、一寸先も見えない濃霧が発生していたら、作戦の成功は覚束なかったかもしれない。

また、米軍レーダーが「確かに感知した」日本の大艦隊の船影は、いったい何だったのか。

もしかすると、それもアッツの英霊たちによる亡霊の影だったのかもしれません。

また、いかに上陸時の緊張があったとはいえ、上陸した米兵同士で、100人を超える死傷者を出しているというのも、もしかすると、発砲した米兵たちは、アッツ島のン本兵の亡霊を相手に戦ったのかもしれない。

さらにこれは以前、≪小麦の話≫http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-902.htmlで書かせていただいたことだけれど、大東亜戦争のあと、世界の人口が拡大し、当然、その分、食料の需要が高まった。

戦後、世界の人口が3倍に増えながら、みんなが「食える」のも、実は、日本が戦争に負け、GHQが日本で開発された小麦「農林10号」を米国に持ち去ったことによります。

収穫高は多いけれど、病気に弱いという特徴のあった日本生まれの「農林10号」が、米国で開発された病気に強い品種と交合することによって、病気に強く収穫量の多い新種の小麦が出来上がった。

小麦は、トウモロコシ、米と並ぶ、世界三大穀物のひとつであり、世界の食料に欠かせない食材です。ラーメンも、うどんも、パンも、パスタも、みんな小麦が原料です。

日本が戦争に負け、日本の「農林10号」が世界に出回ることで、世界の小麦生産高が約3倍に膨れあがり、おかげで世界の人類が「食える」ようになった。

そして同時に、大東亜戦争の序盤で、日本が快進撃を繰り広げることによって、世界中の被植民地の民が、独立にむけて動き出した。

そうした歴史を振り返ってみたとき、もし、神だったら、どう判断し、どう行動したであろうかと考えてみると、やはり、序盤では日本に勝たせて東亜の人々に白人支配からの脱却を促し、後半ではあえて日本に負けさせることによって、日本で開発された小麦で、世界の人口の3分の2にあたる40億の人口を養う道を選んだのではないか。

そして戦争で散華された日本の英霊236万柱は、悠久の大義に生きる者として顕彰し、彼らの血をもって、いつの日か、ふたたび日本が目覚め、国を挙げて、世界の人類の福祉と正義の実現に向けて動き出す日を期すとしたのではないか。

キスカについては、米軍がキスカに上陸を決行したのは、8月15日早朝です。
そしてこの日の正午には、終戦の玉音放送が流れた。

もしかすると、八百万の神々は、アッツの英霊の願いを聞き入れ、キスカの将兵を護ってくださったのではないか。

ねずきちは、特段、神がかり的な信仰を持つ者ではありません。

しかし、キスカの不思議を目の当たりにしたとき、なぜかそんな気がしてならないのです。

日本の神話によれば、日本人というのは、日本神話に登場する神々の子孫です。
われわれ日本人は、まさに「神の子」である、とされています。

そして「神の子」は、個人主義、あるいは自分だけの功利主義に走ることは、決して許されない。

公に奉仕し、礼と秩序を守り、自らの成長と社会の進歩のために命を捧げるのが、日本人です。

戦後63年、日本は、目覚めるときがきた。
ボクは、そのように思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

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太平洋奇跡の作戦 キスカ



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コメント
ノーマン・ボーローグのこと
こんにちは、初めまして。

日本の知られていない世界貢献の一つの「地中海での航海護衛/第二特務艦隊」を検索していて(直接は関係ないのですが、駆逐艦の運用から)木村中将のことも思い出して、そのリストの中から拝見しました。

私は忘れていた「農林10号を元にした小麦」だけではない米やトウモロコシの収穫アップの研究者のノーマン・ボーローグのことを記述から思い出し、日本の地道な技術が世界に花開いていることと思えて・・・ お礼のコメントです。

加えて「公に奉仕し、礼と秩序を守り、自らの成長と社会の進歩のために命を捧げる」精神に賛同して一言残させて頂きました。

麦の例のように、地道な目立たない取組みが、他の人が引継いででもさらに拓いてゆく成果にも繋がるようなスタンスこそ・・・日本の将来を拓く一つの道でありたいとも。
そこには冷静に状態を見極め、不屈の精神で目的を忘れず、成して表さず・・・と言う日本的な精神がキスカの一つの支えであったような気もしますが、如何でしょうか?
 成して表す作戦は決して充分ではなかったとも思える為でもあります。

 北方司令官の樋口中将の人道主義も木村少将の支えでもあったと思います。

<蛇足> 作戦中止当日にはアリューシャン列島方面に非常に強い低気圧が発生し霧も発生していたと思います。 (それが突入予定日には太平洋に抜けたとも)
 強い低気圧では現代の電波技術でも混信や異常輻射が起きることも知られて居り、米国艦隊が誤認したのはそのような異常輻射かも知れません。 (自分の発信の跳ね返りも含めて)
 一部の艦艇しか検出しなかったと言うのはレーダー波の種類や波長が違う為かも知れません。 検証データも資料も無いので、あくまで可能性だけです。

 精神的なものが有ることは私も感じますが、技術的な偶然の可能性も有り得ると考えておく方が日本の将来には良いのではないかとも思っています。
 水を指すようなコメントで申し訳ないです。
 
2014/04/03(木) 01:26 | URL | ニール #-[ 編集]
No title
 キスカについては、米軍がキスカに上陸を決行したのは、8月15日早朝です。(昭和18年です)
そしてこの日の正午には、終戦の玉音放送が流れた。(昭和20年です)
この二つは同じ日ではないので注意が必要です。

 木村少将の勇気ある撤退にアッツ島の英霊も味方したのでしょう。死してなお御国の護り神と
なったアッツ島血戦勇士が霊安らかでありますように。貴兄らが死を賭して護ろうとした祖国を
残された我々立派にもり立ててゆかん。
2012/01/26(木) 17:46 | URL | 遠藤 #-[ 編集]
Kiska
こんにちわ , 一点の曇も無い,分かりやすい表現で感銘いたしました。「天佑 」という言葉がある様ですが、木村少将には おそらく守護神が見守っていたのかも知れません--。
逆に天佑に見放された将官も沢山いた様で、日本の神々をもっと敬わなければと、と云う印象も持ちました。多くの若い方がキスカ撤退の成功 のこの 記 事を読んで貰いたいなと思います。

傑作+ランクリです
/北欧工廠 /imperfect2storm
2010/07/30(金) 04:37 | URL | imperfect2storm #-[ 編集]
【【緊急!?】中国テレビが鳩山故人献金の真相を暴露!? 】
【【緊急!?】中国テレビが鳩山故人献金の真相を暴露!? 】
http://www.youtube.com/watch?v=caF0mCanPfk&NR=1
(動画)

【動画ニュース掲示板】最新版

今日の内閣支持率はこちらをカッチとね
http://www.jra.net/ank/online/naikaku.php
2010/07/27(火) 00:41 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
木俣滋郎・著《なぐり込み艦隊》より
《推薦の辞》大岡昇平

 レイテやミッドウェーのような大海戦については、これまで数多くの戦記が書かれてきた。
しかしこの「礼号作戦」は、あまり知られていない。
本書の主人公である木村昌福少将は、水雷戦の専門家であり、開戦以来その巧妙な作戦によって、幾多の戦果を挙げていた。
帝国海軍が頽勢になってからは、このような智将の働きが目立ってくる。
 ミンドロ橋頭堡攻撃は、太平洋戦争の掉尾を飾るにふさわしい果敢な作戦であった。
著者木俣氏は熱心な海戦研究家で、私は『レイテ戦記』を書くに当たって教えられるところが多かった。
本書の舞台であるミンドロ島サンホセは、戦時中私の駐屯していたところでもあるので、この戦闘の詳細をぜひ知りたいと思っている。

『第二戦隊突入す』昭和47年、経済往来社刊(『なぐり込み艦隊』昭和61年、朝日ソノラマ再刊より)

※次は『礼号作戦』をお願いします。
2010/07/26(月) 23:29 | URL | 亞 #-[ 編集]
大東亜戦争を最後まで堂々と戦い抜いて下さった、当時の全ての日本人の方々に感謝!
ねずきち会長のこのブログは、少しずつ確実に拡がっております。
2010/07/26(月) 22:00 | URL | aboabo #-[ 編集]
緊急拡散!!
緊急拡散!!

中国では口蹄疫が全土で蔓延だそうです。

で、ウイルスがつきまくりの人民がビザ緩和で、

大量に日本に来るんですね。


日本の畜産業 オワタ  


http://ameblo.jp/konichiwa/


口蹄疫豚を売りまくる中国人
2010/07/26(月) 15:20 | URL | #-[ 編集]
No title
こんにちは、いつも読ませていただいています。
本日の記事とは関係ない事を書いてしまいますがこのサイトの内容をどうお感じになりますか?
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken
嘘は誠か仰天する内容です。
2010/07/26(月) 13:07 | URL | 北海道の母さん #1ysID9Ow[ 編集]
反日謀略策動を断て!
日韓併合100年 首相談話を阻止する会 各位
 仙石官房長官主導でとんでもないことが行われようとしています。
日韓併合100年の今夏、謝罪の政府声明を出そうというものです。
 更には、天皇陛下の訪韓を実現させ、そこで陛下による謝罪までも計画されている可能性があります。背景には韓国政府や在日組織の働き掛けがあるようです。
まさに、第2の「村山談話」であり、日本国と国民に未来永劫に亘って災いをもたらすとんでもない愚行であります。
 早速、憂国の同志たちが「首相談話を阻止する会」を結成し、民間の有志を結集した幅広い阻止運動を呼びかけると共に、国会議員などに働きかける活動を繰広げようとしています。
 いつもながら、「何故、こんなバカバカしいことで」と思いますが、ほっておけば今の民主党政権では本当にやりかねません。
我々も地元の国会議員、日本会議のメンバー初め心ある人々に事の重大性を訴えることが求められているように思います。

Subject: Re: 日韓併合100年 首相談話を阻止する会 各位
早速自民党衆院議員 菅原一秀さんから下記のように、力強い返事をいただいております。
「まさに、ご指摘の日韓併合に関わる首相謝罪等が、仙谷官房長官を中心として画策されているようです。断固阻止します。
今回の金賢姫元工作員の日本招聘とバーターとの情報もあり、極めて現政権の極左体質を表しております。
臨時国会で番が回れば、不肖私が予算委員会で、なければ同僚議員に繋ぎます。」 以上

Subject: Re: 日韓併合100年首相談話阻止の行動
今や行動の時と申し上げましたが、私は既に西田参議院議員に「日韓併合は日本の誇り」を送付しております
が、国会開催の前日を期してメールを送る積もりです。
また、在京と思われる山谷参議院議員には本日添付のようなFAXを送付し、これを皮切りに亀井静香氏や
民主党議員20名強にFAXを送りつけようと思っております。
2010/07/26(月) 12:38 | URL | 愛国志民 #-[ 編集]
視力
昭和17年8月8日、第一次ソロモン海戦で三川軍一中将の巡洋艦艦隊は、アメリカ軍の巡洋艦隊を全滅させました。

敵がレーダーで補足するより早く、漆黒の闇の中を日本艦隊の監視兵が発見しています。 

当時の監視兵の視力はすさまじく、夜間8000メートル先の軍艦が動くのが見えたのです。
2010/07/26(月) 08:52 | URL | あ太郎 #eSGkAR1I[ 編集]
『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』を持参して、同「謝罪談話」は支持できないことを伝えてくることです。
こんにちは。 宜しくお願いします。

あのアインシュタインも日本の存在があって良かった!と演説していますね。
本当に目を覚まして欲しいです。

謝罪をさせないためのアイディアを
是非、実行して阻止しましょう。

http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/
謝罪談話を阻止する方法↓

~~~一部転載

それを実行する方法を具体的に述べて見ます。

ターゲットは民主党の国会議員ですが、そんなに難しいことではありません、彼らを抑えつけられる一番の弱点を狙うことです。それは、「議員バッチ」を維持することですから、それを揺さぶる方法を全国的に実行出来れば、菅首相の同「謝罪談話」を潰せます。

① 仲間を募って地元の民主党都道府県会議員及び市町村会議員を説得して、地元選出の民主党国会議員の地元事務所へ説得した同議員と一緒に、『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』を持参して、同「謝罪談話」は支持できないことを伝えてくることです。そのとき、声を大にして批判がましいことは必要ありません。なにせ皆様方は、国会議員からみると命の次に大事なそれぞれ「一票」なのですから。

② ①がなかなか難しいときは、友人と直接地元選出の民主党国会議員の事務所に同書を持って、同「謝罪談話」を反対していることを伝えて来るだけでも効果はあります。
2010/07/26(月) 07:47 | URL | 山河 拡散お願いします。 #1GPmVcro[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
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サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

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